73.西宮市門戸西町の甲東村道路元標

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西宮市門戸西町6-12 やくじんさん筋の腹切り地蔵の四辻の西40m三ツ辻南部に東を正面に建つ
N34.762394 E135.354936


写真cimg4610

東面
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│甲東村道路元標         │
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他の面
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│(なし)            │
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(明治の地図では東40mのやくじんさん筋四辻から南に200m程の東に村役場があるが一本道に見え、この東の四辻が
 集落の中央として起点に相応しかったのでしょう。今の場所へは移設されたと思います。)
(1919年(大正8年)の旧道路法では各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされたので、それ以降の作。)

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【1.元標を北西に望む 【2.元標を南東に望む 【3.元標を北西に望む
 奥、東川の左岸道へ  案内板には  明るい面が南面
 左、当時の村役場へ】  瓦木、芝、山口に残る】  東面「甲東村道路元標」】

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【4.西宮南部の道標】

西隣の案内板


 甲東村道路元標
街道の案内、神社仏閣に参拝する道の道標と違って、
市町村の道路の起点として建てられたものがこの道路元標である。
明治二年(一八六九)の関所廃止以後、道路は制度的に整
えられていくが、法的には大正八年(一九一九)の道路法があり
これににより国道・府県道・市町村道などに分けられて
道路管理が明確になり、道路元標の設置が義務づけ
られた。近代化への歩みの元標でもある。瓦木、芝、山口各村
に残されている。
 甲東文化財保存会

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