27.川西市緑台4の道標

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川西市緑台4丁目6-2 南北の道の西側にある公園の北東部に東を正面に建つ。
(船公園北東角)
尖頭型角柱 65x東面16x15㎝(頂高4㎝)(基礎部6㎝含まず)(像部内法13x10.5x1.8㎝)
N34.869354 E135.403835


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東面
┌――――――――――――――――――――┐
│     右多田満願寺         │
│(地蔵像)       道       │
│     左新田            │
└――――――――――――――――――――┘

北面
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│慶應三卯年三月立之           │
│    □□              │
└――――――――――――――――――――┘

西面
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│新田邑                 │
│   小柳 善兵衛           │
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南面
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│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(慶応三年三月1日なら1867年4月5日、日曜日となる。)
(『川西の歴史散歩』昭和60年刊では№18)
(同書、北面に「七月立建」とあるは、「七月立之」の誤り。
 又、「もと多田から川西に通じる山中の道に北向きに建てられていた」とあり、移設されている。
 ただ、元位置となるとこの地が多田であるため上記の表現では道を同定できない。北向きに建っていた
 を手掛かりに、現東面が北面であったとし、西が多田、満願寺、東が新田村で、人通りの多そうな地点
 を明治の地図で探すと、近辺では二ヶ所あり、一点は元池(現在ある池の300北)の北側、二点目はその
 地点から池を挟み南東200m、現在のキリン公園南西端辺りが考えられる。
  前者の地点で西に向かうと多田院の北西に出るが多田を多田神社とすれば、少し遠回りである。
  後者は現地点の80m北東辺りと思われ、此方であろうと思う。ただここで東側(左)方面に道を採ると、
 地図では北東方向に進むことになり、新田へ行くには、右多田神社経由より遠回りとなり案内が成立しな
 くなる。
  これを解決する為、昭和44年の地図を見ると、左(東)へ分岐後100m程の地点で、さらに南へ分岐し
 新田へ最短で行ける道が記述されており、これが昭和になって新設された道であるとは思えず、明治の
 地図の記載漏れと考えた方が合理的である。
  依って、元位置は二点目の
N34.87002 E135.40457
 辺り(現キリン公園の南西)に、北面していたとし、「右多田満願寺」は多田神社の東へ出た後、川を渡り、
 西多田から、満願寺へと案内するものとしたい。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を南西に望む 【3.北面拡大
 右側電柱の左に当道標  道標の後ろに地蔵が並ぶ  右端「三月立之」とした】
 右(西)側は31号公園】  後方は送電線の鉄塔】

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【4.川西北部の道標】
写真cimg7313
【5.川西南部の道標】
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