2.池田市畑4の道標

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池田市畑4丁目7 東西に走る巡礼街道から南西に分岐する三叉路の、西部に東を正面に建つ。
尖頭型角柱 70x東面18.5x17.5p(頂高4p)(上部欠損部底面5x5p)
N34.8301 E135.449122


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東面
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│      寛文十二(年)       │
│南無阿弥陀佛 東畑(村敬白)      │
│      九月吉(日)        │
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北面
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│右中山道                │
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南面
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│左佛日寺道               │
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西面
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│(なし)                │
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(寛文十二年九月1日なら、1672年10月21日金曜日となる。)
(( )部は、『池田を歩く』市教育委員会平成16年32より。拓本もあり間違いないであろう。)
(同書には、佛日寺は、麻田藩主青木氏の菩提寺とあり、元禄国絵図にも載っているが、摂津名所図会には無く、
 庶民が訪ねるような場所ではなかったのかも知れない。wikiに「万治2(1659)年2月、仏日寺を創建」とある
 ので、道標はその13年後に建てられた事になり、整合している。)
(右中山道は、中山寺を示すと思われ、この道を当資料では、順礼道としており、東勝尾寺から西に進む人に便宜
 を図ったものであろう。)
((村敬白)は前述の書より引用したが、「敬白」なる表現は他に見たことがない。辞書には「つつしみ申し上げ
 ること」とあり、手紙以外に使うこともあるようです。)
(国立公文書館デジタルアーカイブ「元禄国絵図」はこちら。
(国立国会図書館デジタルアーカイブ「摂津名所図会」[7]はこちら。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を南西に望む 【3.東面下部拡大
 右(西)が中山道  奥(南西)佛日寺へ  舗装で埋まっている
 左下が当道標】  明治の地図にない道】  東畑村中心はこの北側】

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【4.池田南部の道標】
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