10.池田市古江町260の道標

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池田市古江町260 南から北に向かう旧能勢街道から東に分岐する三叉路の南東部に西を正面に建つ。
(西向きの地蔵堂の北側、南側ににも石碑や石灯籠がある。)
角柱 76x西面20x19p(基部7p含む)(面取R2p)
N34.847771 E135.422328


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【北側道標】
北面
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│能勢街道                │
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西面
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│札場橋                 │
└――――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――――┐
│明治三十九年十月架之          │
└――――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――――┐
│(不明)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では23)
(同書では、当時この一角に橋が架けられていたとあるので、明治の地図で確認するとこの辻の
 北部を東西に横切っており、中河原へ分岐する道もあり、札場としては相応しい。よって道路の
 拡張等による移動はあるにせよほぼ元の位置であろう。)
(明治三十九年は1906年となる。)
(明治44年発行の地図では、能勢街道は、この地点の北100m程で西に折れて道が描かれており、
 東多田方面の北への道(江戸時代の能勢道)は小径となって、鼓が滝辺りの幹線道路は川沿いに
 変っているが、古江村では、まだ村の中を通過している。)
(「…十月架之」とあり、道標が主ではなく、橋の名称を示すのが第一目的であったかも知れない。)

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【1.道標を南東に望む 【2.旧街道より北を望む 【3.江戸期能勢道と思われる
 祠の左側が道標  右端燈籠の後ろに祠  道を北に望む
 右(南)から左が旧能勢道】  奥(北)は東多田へ】  現在の状況は未確認】

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【4.池田北部の道標】


【南側石柱】
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西面
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│南無妙法蓮華経             │
└――――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――――┐
│寛政七年乙卯年吉日           │
└――――――――――――――――――――┘

【南側石灯籠】
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西面
┌――――――――――――――――――――┐
│    金毘羅山            │
│□神□                 │
│    愛宕山             │
└――――――――――――――――――――┘

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