33.池田市吉田町167の道標

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池田市吉田町167 陽松庵入口にある石柱前から南西60mにある変則五叉路を南西に40m、農道の北部に南を正面に建つ。
(すぐ右横に小さな地蔵像を持つ石と共に建つ。)
蒲鉾型板状 57x22x10.5p(頂高4p)(基礎部7p含む)
N34.853804 E135.432357


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南面
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│右 吉田陽松庵             │
│       道            │
│左 能勢妙見山             │
└――――――――――――――――――――┘

東面
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│寛政九丁己歳(冬)十二月廿七日     │
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西面
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│願主 長谷川圓翁            │
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北面
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│(なし)                │
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(寛政九年十二月廿七日は、1798年2月12日月曜日となる。)
(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では30)
(明治の地図では、現道標のある辺りに吉田から、西、旧妙見道に続く道があり、南西からの道が合流し、
 三叉路となっている。主要道路ではなさそうであるが、古江や片岡の集落から、陽松庵へは、北東にほぼ
 直線で進むこの道しかなく、東西に分岐するここに有るのは、うなづける。東西の道は現在なく、新道が
 少し北を通っている。)
(陽松庵の寺縁起に、「享保六年(1721)、天桂伝尊禅師により再興。」とあり、再興後77年後の道標
 建立となるか。同師は、「コトバンク」に、没年:享保20年12月10日(1736.1.22)とあり、それからだと
 62年後となる。)
(「陽松庵」は『摂津名所図会』、国会図書館デジタルアーカイブ、同書[7]、14コマ参照、
 に「少林山退蔵峰陽松庵」として紹介されているものであろう、参詣者が多かったのであろうか。)

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【1.吉田−鼓が滝の新道より 【2.道標前から北東を望む 【3.道標を北西に望む
 道標(矢印)を南西に望む  右端が写真1.撮影地点  右小さい地蔵か
 左奥(南西)古江へ】  左端が当道標】  左が当道標】

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【4.東面下部拡大 【5.池田北部の道標】
 (冬)十二月廿七日の
 (冬)が読めるか】
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