32.川西市西多田平井田筋の道標

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川西市西多田平井田筋 南西満願寺からの道が、東(矢問方面)と北西(西多田方面)に分岐する、三叉路の北西部に、南を正面に建つ。
(川西市湯山台2丁目14−1小川の北、湯々館居宅介護支援センター入口の東30m。)
尖頭型角柱 107x南面18.5x14.5p(頂高5p)(基礎部15p程度含む)(上像部40x18.5x深さ4p)
N34.851746 E135.399994


写真cimg5143  写真cimg5135

写真cimg5139

写真cimg5141

南面
┌―――――――――――――┐
│    右ハわかみや   │
│(地蔵像)       道│
│    左ハまんぐワんじ │
└―――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘

北面(写真無)
┌―――――――――――――┐
│(不明)         │
└―――――――――――――┘


(現在位置で「右若宮」の案内は不自然で、東隣の今のハイキング案内では「多田神社」とあり、移設された
 ものか。)
(明治44年の地図で見ると、若宮と満願寺の分岐にふさわしいのは、此処より西200mの川西市湯山台2
 丁目22−1
N34.850748 E135.398221
 辺りか、又は、西700mの川西市湯山台2丁目84−2の
N34.848708 E135.393607
 辺りの、二点が考えられるが、最初の地点は若宮へ尾根筋で向かう、細い道の分岐であり、利用度は少ない
 であろう。
 依って、二点目の位置の方が、若宮へも、満願寺へも、幅の広い道として描かれており、此方が相応しいと
 思われる。
 この場所に建っていて、今の南面が東面していたならば、右が西、左が南東となり、案内がピタリと合う。
  尚、左満願寺を採り、道なりに行くと萩原に出てしまう為、途中(湯山運動公園の南)で南西に分岐の必
 要がある。)
(『川西の歴史散歩』昭和60年刊では19)
(同書では「左まんぐハんじ」としている。ここでは、「左まんぐ」のあと、「ワ」と「ん」をつなげた字と
 した。)
(像を浮き彫りとするため、上10p辺りから40p程掘り込んであるが縁が無く、横から見ると「コ」の字型で
 ある。)

写真cimg5132 写真cimg5133 写真dimg2983
【1.堂(中に道標)を西に望む 【2.堂を北東に望む 【3.道標を北西に望む
 右横の案内板は、左満願寺  左上道は西多田方面  堂の額には湯山台地蔵尊
 右(北東)多田神社を示す】  右下道は矢問方面へ】  とあり、今は信仰対象か】

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【4.道標下部拡大 【5.道標上部】
 「左まんぐワんじ」
 ハとせず、ワとした】

写真cimg7283
【6.川西北部の道標】
写真cimg7313
【7.川西南部の道標】
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