番外1.宝塚市中山寺奥の院その他丁石

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宝塚市中山寺 中山寺より奥の院への参道(旧道)に各々18体が建つ
三丁、十丁を解説し、その他は一覧とする。(各石とも同じ形式で作成されている。)
N34.822327 E135.363651
N34.827357 E135.357096


三丁丁石
写真cimg5218

写真cimg5219

写真cimg5220

正面
┌─―――――――――――――――┐
│三丁              │
└――――――――――――――――┘
左面
┌─―――――――――――――――┐
│享保十九庚寅年十一月      │
│ 施主 辰巳休海        │
└――――――――――――――――┘
右面
┌─―――――――――――――――┐
│宿坊寳藏院           │
└――――――――――――――――┘
裏面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘



十丁丁石
写真cimg5241

写真cimg5242

正面
┌─―――――――――――――――┐
│十丁              │
└――――――――――――――――┘

左面
┌─―――――――――――――――┐
│享保十九庚寅年十一月      │
│ 施主 辰巳休海        │
└――――――――――――――――┘

右面
┌─―――――――――――――――┐
│宿坊寳藏院           │
└――――――――――――――――┘

裏面
┌─―――――――――――――――┐
│    右 舊道        │
│中山寺             │
│    左 新道        │
└――――――――――――――――┘


(享保十九年十一月1日なら、1734年11月25日木曜日となる。)
(十丁丁石の裏面にある新道は明治44発行の地図には描かれていない、昭和22年発行には描かれている。)
(明治44年当時道がなければ、それ以降に追刻されたものと考えられる。)
(又、「旧」の字体が旧いことを考えると戦前(昭和21年)と考えられる。)
(本来、丁石は厳密に1丁(109m)毎に建てられるべきであるが、現在では等間隔に建っていない。
 理由として、現在の参道が建設当時と変った為か、保守により位置が移動したか等が考えられる。
  現在の参道を、明治44年の地図で見ると、やはり幾分違っており、明治の方が距離が短いと思われる。
 又、十丁などは、新道、旧道が追刻されて今の分岐点に移動されたことは、前後の丁石の距離から見ても
 (9丁から遠く、11丁に近い)、はっきりとしている。)

中山寺奥ノ院丁石一覧
丁数位置正面方向道の左右備考大きさマップ上距離m
N34.821004 E135.366715奥ノ院是より十八丁/世話人(大和屋与八)148x30.5x30p

0

N34.821499 E135.365640南西紀年/施主/宝蔵院131x24x24p(頂高6p)

105

N34.821983 E135.364509南西紀年/施主/宝蔵院128x24x24p(頂高6p)

132

N34.822327 E135.363651紀年/施主/宝蔵院127x24.5x22.5p(頂高6p)

92

N34.822338 E135.362535紀年/施主/宝蔵院127x24.5x23.5p(頂高6p)

115

N34.823122 E135.361627西紀年/施主(読めない)/宝蔵院131x24x22.5p(頂高6p)

130

N34.823803 E135.360866紀年/施主/(読めない)127x24x22.5p(頂高6p)

101

N34.824656 E135.360286西紀年/施主(読めない)/宝蔵院121x24x22.5p(頂高6p)

119

N34.825684 E135.359657紀年/施主/宝蔵院123x24.5x24.5p(頂高5p)

133

N34.826286 E135.358287紀年/施主/(読めない)118x23.5x22p(頂高5p)

153

10N34.827357 E135.357096北東南西面「中山寺/右旧道/左新道」/紀年/施主/(読めない)127x24x23p(頂高6p)

170

11N34.827750 E135.356702北東紀年/施主/(読めない)125x24x24p(頂高6p)

60

12N34.829180 E135.355912北東紀年/施主/(読めない)126x24.5x23p(頂高6p)

190

13N34.829946 E135.355408北東紀年/施主/(読めない)126x24.5x22p(頂高6p)

100

14N34.831317 E135.355165紀年/施主/宝蔵院127x23.5x23.5p(頂高6p)

160

15N34.831716 E135.354542紀年/施主/宝蔵院124x24x22.5p(頂高4p)

90

16N34.832518 E135.353570紀年/施主/宝蔵院126x24.5x23.5p(頂高6p)

150

17N34.833310 E135.353001紀年/施主/宝蔵院127x24.5x24p(頂高6p)

130

18N34.833237 E135.351637紀年/施主/宝蔵院124x24.5x24.5p(頂高6p)

170

本殿N34.833595 E135.350941  奥ノ院本殿前         

80


注)「正面」とは丁数の刻まれている面、「道の左右」は奥ノ院へ向かって、「大きさ」は基礎部を含まない地表高、「頂高」は四角推部の高さ。
尚、15と16丁の間に「是ヨリ東南放生地」なる石碑が存在する。

写真cimg2476 写真cimg4666 写真cimg5209 写真cimg5218
【0.起点】 【1.】 【2.】 【3.】

写真cimg5222 写真cimg5224 写真cimg5227 写真cimg5230
【4.】 【5.】 【6.】 【7.】

写真cimg5234 写真cimg5237 写真cimg5241 写真dimg2350
【8.】 【9.】 【10.】 【11.】

写真dimg2361 写真dimg2370 写真dimg2380 写真dimg2388
【12.】 【13.】 【14.】 【15.】

写真dimg2397 写真dimg2413 写真dimg2420 写真dimg2429
【16.】 【17.】 【18.】 【19.奥の赤い建物が本殿】

写真dimg2263
【20.中山寺奥ノ院参道地図(明治44年)
 奥ノ院直前は現在道と明らかに異なる】
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