37.川西市一庫3の道標

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川西市一庫3丁目24 県道68号丸山台1丁目交差点の南東110mの交差点を北東に入り80mの三叉路を北東に登り80m、道路の北側、慶積寺参道の階段の西に南を正面に建つ
(元は、一庫3丁目6の三叉路辺りか)
尖頭型角柱 73x南面20.5x17.5p(頂高3p)
N34.903824 E135.400002


写真cimg5542  写真dimg2881

写真cimg5548

写真cimg5543

写真dimg2883

南面
┌―――――――――――――┐
│ 右 妙見 亀岡     │
│左 普門寺新西國     │
│    是ヨリ弐丁    │
└―――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――┐
│右 三田         │
│     道       │
│左 池田         │
└―――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――┐
│すぐ 池田        │
│     道       │
│左  妙見        │
└―――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘


(『川西の歴史散歩』昭和60年刊では30)
(同書に、「慶積寺は江戸時代普門寺慶積坊と呼ばれていた」とある。)
(南面が難しい。本来「普門寺」を案内するのが第一義であるが、「是ヨリ…」が付け足しのごとく彫られ
 ており、そのバランスを保つが如く、「右妙見…」がある。当初から彫られていたものかが一つの鍵とな
 りそうである。
 又、筆跡も三面とも微妙に異なっているようにも見え、何度かの移動と追刻が有ったのではないかと考え
 られ、そう思って、上から写真を撮ると、稜線までもが四隅に通っておらず、全面(南面)が削り取られ
 た様にも見えてしまうのは疑い過ぎであろうか。因みに、北面は全く手が入っておらず、前後の厚みは、
 左右の幅に比べ、3p少なくなっている。
  ともあれ、移設されている事は間違いないであろう。)
(元位置を「弐丁」と明治の地図から推定すると、川西市丸山台1丁目の県道68号、丸山台1丁目南交差点
 の南
N34.90367 E135.3974
 辺りとしたいが、旧道の三差路に当たり、案内が整合しない。
  東面と西面の案内が整合するよう、さらに西の丸山台と松尾台の境、ゴルフ場北端の旧道四辻
N34.90416 E135.39484
 辺りとすると、寺まで五丁となり南面の丁数と一致しなくなる。
  一方、能勢電鉄 鉄道営業課作成の『川西の古い道標めぐりコース(新北部編)』PDFでは、
 「行き先を示す方向から能勢街道沿いの前川橋北詰付近にあったと推定されますが定かではありません。」
 とあり、現位置より東に比定しており、それを
N34.90162 E135.40461
 辺りとすれば、旧道は三差路で、西面の「すぐ池田」が南を指すと受け取れるかと、距離の五丁が問題と
 なる。
 今少し検討を続けたい。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を東に望む】 【3.南面下部拡大 【4.南面拡大
 右坂上の掲示板の左  「ヨリ弐丁」とした】 「弐」か】
 白っぽい石が当道標】

写真cimg5556
【5.道標を上部から撮影
 下辺が南(正面)、右辺が東となる】

写真cimg7283
【6.川西北部の道標】
写真cimg7313
【7.川西南部の道標】
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