60.宝塚市伊孑志武庫山の丁石

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宝塚市伊孑志武庫山756 塩尾寺より参道を300m下った地点の道の南側、北を正面に建つ
(宝来橋南詰交差点より西への参道を塩谷川沿いに登り、甲子園大学前を通る。)
尖頭形角柱 85x15x9p(上部欠損)
N34.805036 E135.327544


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北面
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│塩尾寺 二丁          │
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西面
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│施主 宝塚立美家        │
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南面
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│(なし)            │
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東面
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│(なし)            │
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(二丁とあるが、今の参道では三丁の距離となる。明治の地図では直線的になっているので当時は二丁か。)
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)30に該当)
(施主について、Blog「近代宝塚歴史紀行」の中の「分銅家と隣の店舗 」
http://wilkinson−tansan.com/archives/8578124.html
 に、分銅屋の解説と共に、施主と同名の「立美家」が載る絵葉書が掲載されている。
  もしこの店なら、宝来橋南詰、参道の入口という絶好の場所の土産物店のようで、感謝の為の奉納か。
 その絵葉書の説明には、明治30年代後半以降の絵葉書とある。
 又同じBlogの「宝塚温泉場開業すぐの浴客宿の案内広告(明治21年) 」にも旅館「立美家」が見え、
 施主の同定と設立年代の資料となるか。
 尚、境内の昭和四年四月建立「改築記念碑」に、大正十一年改築時に歸依者弌萬人とあり、此の頃盛期か。)

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【1.参道より道標を西に望む
 奥(西)舗装路、塩尾寺へ
 2本目電柱を右なら寺へ2丁か】

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【3.宝塚西部の道標(明治44年)】

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【4.宝塚南部の道標(明治44年)】
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