74.宝塚市売布きよしガ丘北の道標

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宝塚市中山寺(宝塚市売布きよしガ丘18−14の北直線で180m辺り)
中山寺より奥の院への参道を夫婦岩まで登り、南南西、売布神社1.7qの道標に従い、300m下った地点の
清荒神(右)と売布きよしガ丘(左)への分岐点(ほぼ平坦地、チョットした広場の北)を
右(西側)に10m入った西側、神戸市管轄の金網に添って北を正面に建つ
自然石(一応四面有) 62x42x40p
N34.825102 E135.357475


写真cimg9132

写真cimg9139

写真cimg9137

写真p1020138

北面(刻字部分平滑化)
┌─―――――――――――――――┐
│右 かうじ(ん)        │
└――――――――――――――――┘
(「じ」は変体仮名「志゛」)

東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(( )部は『たからづかの道標』(昭和61年刊)73より、
 又、「表面を角柱型に浅く彫り下げ、そこに文字が刻まれている。」とある。)
(現在の道は、道標の北10mで分岐しているが、道標のある道も直進すると、分岐したやや広い道に
 再度合流し、やや広い道は歩き易さもあり、新しく付け直された道に思える。依って道標建立時点で
 は北の分岐は無かったとして考える。では「右、かうじ…」の分岐は何処であったか。
 道標から約20m南、広場になっている西側に、ほんの少し踏み跡が残る。これを明治の地図で比定す
 ると、清荒神に続く道と出来そうである。建立当時広場は無かったと思うが、辻の位置を踏み跡地点
 とするなら、20m北に移設したものとなり、近接移設となる。道標から南西にかけ金網が張り巡らせ
 てあり進入出来ませんが、南西側に沿って30m程先で道は無くなります。
  広場を南へ直進し南東に下ると、売布きよしガ丘の住宅地へ出るが、明治の地図には南進直後に道
 が途切れているいる様に見え、その先は記載がない。)

写真kimg3040 写真p1020135 写真p1020127
【1.道標を南に望む 【2.道標の北から南を望む 【3.夫婦岩(十丁)南付近から
 右フェンスは神戸市営林局?  右(西)側10mに道標  参道との分岐点を南に望む
 の管轄か、  広場を直進し左道と合流  右(西)側は売布駅へ
 その東沿いに道標】  左は売布きよしガ丘へ】  左は参道を中山寺へ下る】

写真dimg2258
【4.宝塚北東部の道標(明治44)】

写真dimg2119 写真dimg0759
【5.宝塚西部の道標(明治44年)】 【6.宝塚東部の道標(明治44年)】

 2024/10/12 【訂正等】
@写真1.を差し替えます。
A写真2.の行先に誤り、右に下っても、道標過ぎ50m程で左の道と合流し、売布きよしガ丘の住宅地
 に出る。
B写真3.の行先に誤り、道標まで下り道標過ぎを右に採る事が出来ず、直進し同上にしか進めない。

  誤:【2.道標の北から南を望む    【3.夫婦岩(十丁)南付近から
      右(西)側の道に道標      参道との分岐点を南に望む
      右に下ると清荒神へ       右(西)側は道清荒神へ
      左は売布きよしガ丘へ】     左は参道を中山寺へ下る】

  正:【2.道標の北から南を望む    【3.夫婦岩(十丁)南付近から
      右(西)側10mに道標      参道との分岐点を南に望む
      広場を直進し左道と合流     右(西)側は売布駅へ
      左は売布きよしガ丘へ】     左は参道を中山寺へ下る】

C明治の地図に有る「清荒神」への道は、道標過ぎにある広場状の空地から北西に分岐する道と思わ
 れ、地理院地図にも少し先まで載るが、30mも進むと踏み跡も無くなり現在では通行不可である事
 が確認出来ました。
D【訂正】よって、元位置の考察を上記に改めました、比較の為、元の説明を残しておきます。
元(現在の道は、道標の北10mで分岐している。建立時も道がそのままなら移設したものとなるが、
  道の方が変化したのかもしれない。一応近接移設としておく。
  又、今では、左の道を辿ると、売布きよしガ丘の住宅地へでるが、明治の地図には、記載がない。)
 としていました。

E【追記】
 北面の文字記入部分(額の内法部)は「角柱型に浅く彫り下げ」とあるが、「縦長の将棋駒型に
 浅く彫り下げ」が相応しい。
 下部は埋り全容は不明であるが、
 露出部の高さ58p、上部三角形の高さ5p、上部幅15p、下部幅約20p、深さ左端1p、程度とな
 っています。
 又、北面読下し「右かうじ」を変体仮名「志゛」と『たからづかの道標』に従いましたが、筆の
 運びから「右かうぢ」とすべきかも知れないが、自信がないのでそのままとします。

F【追加】
写真kimg3070 写真kimg3069 写真kimg3064
【7.道標南の広場を南に望む 【8.踏み跡部を南西に望む 【9.進入口から30m程先で
 右端に踏み跡らしきもの  中央にやや隙間が有ると  南西に望む
 左奥、売布方面へ。  思いこれに分け入る。  右、金網に出会うが
 背面(北)が道標方向】  道標は右(北)になる】  木々で先に進めず断念】

写真kimg3045
【10.道標北面拡大
 「右 かうぢ」
 「右 かう志゛」か】

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