36.伊丹市立博物館蔵常福寺道標

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伊丹市立博物館蔵H。
(平成20年収蔵、元所在地 詳細不明)
(花崗岩 角柱型(錐型) 高154p,幅22p,奥21p 下部折損)
N34.801776 E135.436190


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右面
┌─―――――――――――――――┐
│(これ余里十八丁 願主當所講中)│
│(かう田より中山へ一里)    │
└――――――――――――――――┘

正面
┌─―――――――――――――――┐
│右か(う田常福寺境内)     │
│弁財(天  玉蔵院道)     │
└――――――――――――――――┘

左面
┌─―――――――――――――――┐
│(上部に四角い堀込あり)    │
└――――――――――――――――┘


(( )部は『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』より)
(元の位置について、「西国街道沿いの池田市から伊丹市にかけてのあたりに…」とある。

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【1.伊丹市下河原 【2.池田市十二神社南
 現国道171号  現中国自動車道西側
 から西を見る】  から北西を見る】

(「玉蔵院は常福寺の塔頭…、池田市神田3丁目にある真言宗の寺」とあり。
 現在では自動車工場がある為に昔の道を同定するのは難しいが、明治の地図で、
 伊丹市下河原の浄源寺やや東(写真1)から、旧道を北にとり、西を廻って寺に入ると、1.3q(12丁)、
 池田市豊島南の十二神社の南(写真2)から、西市場を通り、脇塚から上と同じ道なら、1.6q(15丁)、
 となり、18丁を信じるなら、池田市の十二神社の南(旧北今在家村東端)とすべきか。)
(『山崎通分間絵図』「下河原」の北東に常福寺が描かれているが、そこへの道は描かれていない。)

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【3.伊丹北東部の道標(明治年)】

(「山崎通分間絵図」は東京国立博物館アーカイブ『山崎通分間延絵図全1巻』本文22
 見ることが可能。)
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