83.宝塚市大原野岡田20−5の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
宝塚市大原野岡田20−5 県道33号、嶋田から分岐の旧道を直進し、民家の庭先を抜け、東側、
納屋の前に南を正面に建つ
道を左に取ると、その後西に折れ、川沿いの道となる。
(南東、銀山、池田方面から長坂峠を越えへ、猿山、茶谷を直進し、ここへの道が主要道であったらしい。)
蒲鉾形角柱(川の部分剥離し右縦線のみ残る) 75x28.5x16p(頂高6p)
N34.916208 E135.310521


写真dimg0943

写真dimg0944

写真dimg0945

写真dimg0947

写真dimg0953  写真dimg0954  写真dimg0955

南面
┌─―――――――――――――――┐
│ 右さそりむつのせ       │
│(梵字)西國三拾三所供養    │
│ 左者す(川)         │
└――――――――――――――――┘
(「者す」は変体仮名、「はす」である。)
(梵字はキリーク:如意輪観音か。)

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│ 寛政四壬子年         │
└――――――――――――――――┘


(寛政四(壬子)年1月1日とすると、西暦1792年1月24日火曜日となる。)
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)では82。)
(石質のせいか、風化が進み読みにくい。)
(現在この地点から右への道は痕跡は残るが、歩けそうもないが、明治の地図では、北に佐曽利川を渡り
 現県道319号に続いている。
 左は上にも述べた通り、谷筋へ降りて西に200m強進み、橋を渡り、現県道68号「北摂里山街道」となる。
  依って、道標の立つ位置としては変わっていないと思われる。)

写真dimg0952 写真dimg0956 写真dimg0942
【1.道標を北に望む】 【2.道標を南に望む】 【3.道標を北東に望む
 
 
 右に明るく見える道が佐曽利へ
 
 
 道標の左側が波豆への道】

写真cimg7282
【4.宝塚北部の道標(大正5)】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ