91.宝塚市栄町2の花屋明神の碑

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宝塚市栄町2丁目1−1 ソリオ西館北西部生垣中
自然石 34x23x14cm
N34.809608 E135.341266


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西面
┌─―――――――――――――――┐
│   アリま          │
│       道        │
└――――――――――――――――┘

その他面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『たからづかの道標』(昭和61年刊)74、栄町2-2の「国鉄道標」を探していると、
 これに気付いた。Web等にも道標としては取り上げられていないようなのだが、よく見ると
 地名が書かれている様な気がしたので、ここに挙げておきます。
  読みについて、自信はありません。
 特に「ま」などは「尓」なのかも知れないし、「道」等は思い込みが甚だしいかも。
 碩学のご意見をお聞きしたいと思います。
 又、「花屋明神」となったいきさつも未調査だが、地元の方ならご存知かもしれない。
 尚、「国鉄道標」も見付けられなかった。)
(「すぐ有馬道」と理解したいのは、西宮道からの渡しと、有馬道への連絡関係の裏付けとする事が出来れば、
 との思いからである。
  西宮道から有馬道への接続(渡し)が三ヶ所あるとして、南から「清荒神への」、「有馬道への」、「生瀬での」
 としている内の二番目、有馬道への渡しを、宝塚南口から武庫川町(現宝塚大橋)へと想定しているのだが、その
 後の道筋が、明治44発行の地図では描かれていない。これが道標であって、設置位置が分かれば、位置同定の補
 足になると思われるからです。
  下図、「宝塚南部の街道」の「有馬道の渡し」の北辺り、薄い緑の線が想定ルートです。)

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【1.石碑を北に望む 【2.石碑を南に望む 【3.石碑を東に望む
 奥、阪急宝塚駅  左、ソリオ西館  下の台に「花屋明神」】
 左手前は宝来橋へ】  右、車列の後ろは武庫川】

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【4.宝塚西部の道標(明治44年)】 【5.宝塚東部の道標(明治44年)】

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【6.宝塚南部の街道】
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