60.西宮市山口町名来の道標

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西宮市山口町名来の東 国道176号、名来(ならい)交差点の南15mから東に有馬川を渡り、
名来神社を北に巻いて東進、神社北より500mの三叉路を南に折れ20m、新旧H状の辻の西に、東を正面に建つ
地蔵光背型 66x31x24p(像より上52p、像高38、像厚6p)
N34.840984 E135.244337


写真dimg4214

写真dimg4217

写真dimg4218

写真dimg4238

東面
┌─―――――――――――――――┐
│   右ハ清水道        │
│(地蔵像)           │
│   左ハ在所道        │
└――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――┐
│   施主 治郎右門      │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、44)
(『山口町史』山口町徳風会、平成22年刊480頁に次のようにある。
 「平尻道沿いに小さな石の地蔵尊が祀られている。…この道は西国巡礼の札所である中山寺と清水寺を
 結ぶ道路でもあったので巡礼者のための道標を兼ねていたものである。…東向きにたっており工事関係
 者が移設したもので、表示文面からすれば、道路分岐点の正面で南向きにたっていたものと思われる。」
  明治の地図で見ると、南西、平尾(現平尻か)から峠を下ってきた道が、西に曲がり名来の集落に向
 かい、一方北に直進する道は、その後北西に進み平田(道場町平田)へと続いている。清水寺へ向かう
 ならこの北への小径が近く、左「在所」は名来を指すもので、左折(西)500mで有馬川に出る。
 現在の辻の形と同じであれば上記の様に、南向きが相応しいが、東面していても、辻の北西部分に建っ
 ていれば、これも矛盾しない。何れにしても、近接移設は間違いのない所か。)
(現地の案内杭に、「丹波道」とあるのが、『町史』にある「平尻道」と思われる、山口歴史資料館の展
 示品中に「宝永元申年、五月十一日 摂州有馬郡生瀬村、猿加うべ山ノ新道並往還道筋之図」があり、
 その図では、宝塚市小浜から、武庫川の東岸を生瀬の渡しの東から、渡しを使わず西へ進み(青野道か)、
 木元の渡しを渡り、名塩村を通過し、道場川原村へ達する道が描かれ、生瀬東の分岐に、「丹波XX海道」
 と書かれていることから、丹波道が一般的であったと思われる。
  因みに、その分岐で、生瀬へ渡る道には、「有馬海道」、大多田川を渡り木元への道(現国道176号?)は、
 「猿加うべ新道」と書かれている。
 平尻道は不明であるが、現北六甲台に「平尻公園」があり、この辺りの字名であろうか。
 尚、宝永元年五月十一日は、西暦1704年6月12日木曜日にあたる。)
(上記絵図の他、元禄、天保国絵図にも、一里塚のある道として載っており、当地から名来へ抜けず、平田村
 の北に繋がっているようで、北への道が本道で「丹波道」に相応しいのであろうが、未だ踏査していない。
 国立公文書館デジタルアーカイブ「元禄国絵図」はこちら。
 同じく、デジタルアーカイブ「天保国絵図」はこちら。)

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【1.名来神社を北東に望む 【2.地蔵を北西に望む 【3.地蔵を南東に望む
 竹藪の手前小さく  奥(西)は名来(在所)か  右奥は平尻方面か
 「丹波道」の案内がある】  今の道はフェンスの後ろ】  今は不通、右は崖】

写真dimg4231 写真dimg4233 写真dimg4234 写真dimg4228
【4.南面拡大 【5.地蔵左拡大 【6.地蔵右拡大 【7.地蔵上部】
 「施主」と「治郎」の  「左は在所道」】  「右ハ清水道」】
 間に一字あるか】

写真dimg4239 写真dimg4240
【8.地蔵東前の辻を 【9.現在の三叉路を
 南東に望む  南西に望む
 左に丹波街道の案内】  正面竹藪後ろに地蔵】

写真dimg3911
【10.西宮北部の道標】

【追記】
 2022年1月、宝塚市と西宮市の境界の生瀬東町から、青野道、平尻(へんじり)道、丹波道を通り、神戸市北区の
 平田に出るべく探したが部分的にしか通れませんでした。その辺りは別のHPに書きましたので参照下さい。
 「摂津の国の道標」西宮(青野道)はこちら。

写真dimg4189
【11.山口町郷土資料館の
 宝永元年の絵図では
 丹波亀岡海道とあり
 生瀬村の北が青野道か】

【追記】

 2022年11月9日、平尻道未踏査部を歩いた様子を別項にまとめました。その区間に道標は無いようです。
「摂津の国の道標」平尻道未踏査部はこちら。
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