12.豊中市春日町2丁目の道標

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豊中市春日町2丁目4-44 野畑第二市民会館の北西庭内に、西を正面に建つ
尖頭型角柱 73x西面18.5x18㎝(頂高3㎝)(基礎部16㎝を含む)
N34.809368 E135.467102


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西面
┌─――――――――――――――┐
│右 かちをうし        │
│左 みの於          │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│(不明)           │
└―――――――――――――――┘


(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B2_12)
(公共の施設の敷地内でもあり、一般の道に面してもおらず、移設は間違いないであろう。
 上書では、「もとは、報恩寺の南方、ちょうど箕面街道が直角に曲がる交差点に正面西向き
 で立っていました。」とある。
 「報恩寺の南方」について、報恩寺の南西角の四辻では、箕面街道は南北に直進しており、
 ここでは、「直角に曲がる」に該当しないので、更にその南で街道が直角に折れ、かつ案内
 に相応しい地点を明治の地図で探してみると、報恩寺の南西角から50m南の四辻、現在の、
 春日町2丁目8
N34.807295 E135.466776
 辺りが相応しいと思われる。この四辻の北東部に、西に面して建っていたとしたい。)
(「右 かちをうし」は「右勝尾寺」と思われるが、この案内は、西国街道の稲から如意谷へ
 出る道を示していると思われる。現代では箕面経由の方を選びそうであるが、当時の人は、
 参詣道としては箕面街道を使わなかったのであろう。(或いは、右が単に近道なのかも。)
 この右への道は、報恩寺の南西角の四辻からの道と合流後、野畑第二市民会館の東を通り、
 豊中野畑住宅の南で現、西の府道43号へ出るまで、旧道の道筋が残っている。)

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【1.野畑第二会館を北に望む 【2.会館を南東に望む 【3.道標を東に望む 【4.道標を上から望む
 突当りは行止り  画面左、白柵の後ろ  後ろは第二会館  手前が西面
 中央木下に当道標】  笹藪中に当道標】  左横に焼き物】  頂部は摩滅か】

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【5.道標南面の拡大 【6.報恩寺西を北に望む
 凹凸はあるが  箕面街道は直進
 文字ではなさそう】  元位置は背面50mか】

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【7.豊中北部の道標】
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