20.吹田市豊津の糸田橋石柱

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吹田市垂水町二丁目2−2−40 阪急千里線、豊津駅出口南東の植込み中に、北を正面に建つ
石碑、道標ではありません 角柱 52x17x17cm(上部より7pに幅3pの鉢巻状彫り込みあり、欄干のイメージか)
N34.764076 E135.509761


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北面
┌──────────┐
│いとたはし     │
└──────────┘

東面
┌──────────┐
│明治三六□年十一月架│
└──────────┘

西面
┌──────────┐
│(なし)      │
└──────────┘

南面
┌──────────┐
│(不明)      │
└──────────┘


(明治三六(癸卯)年なら、西暦1903年)
(『すいた歴史散歩』<増補版>吹田市教育委員会では、23番目に掲載されている。よってここに載せる。)
(明治44年発行の地図では、説明板にもある様、東側の糸田川と、西側の上の川は、140m程離れていた
 様で、旧糸田川が、現在の上の川の位置に有り、旧上の川の跡は現在道路として残っているように見える。
 即ち、旧上の川を、現在の交番の東側に移動させたようであり、此処で直角に南に折れていた旧糸田川を、
 現石柱の有る地点から、南西90mの地点へ、スムーズに合流させたものと思われる。
  よって、石柱が立っていた地点は橋の西側なら現交番前に、東詰なら、その東5〜6mの地点であろう。
 橋西詰として、吹田市垂水町二丁目2−2−40
N34.763958 E135.508862
 辺りを元位置としたい。)

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【1.石柱を南に望む 【2.石柱を南東に望む 【3.現糸田川を南西に望む
 右、阪急千里線  奥(東)吹田へ  右手が上流
 左右が吹田街道】  後ろ、駅出入り口】  元は此処で西折れか】

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【4.道標東面上部 【5.道標東面中部 【6.道標東面下部
 「明治三六…」  「…六□年十一…」  「…十一月架」
 と見える】  と見える】  と見える】

写真dimg2466
【7.吹田市の道標】

糸田橋石柱の案内板
石柱の東側に建つ


写真eimg2261

 糸田橋石柱(明治三十六年)

 この「いとたはし」と刻まれた石柱は、阪急豊津
駅西出口の路上に埋没していたのを、掘り出して
現在位置に移設したものです。
 改修前の糸田川は、阪急豊津駅あたりを東から
西へ流れ、豊津派出所のある上の川近くで吹
田街道を横切るようにほぼ直角に曲がって海へ流れ
ていました。
 そのため、天井川であった上の川とともに、た
びたび氾濫して住民に被害を及ぼすので□□□□
年、両方の川を改修して、今の流路になりました。
当時の糸田橋は欄干が
なく、長さ五〜六メート
ルの板石を四、五本並べ
てかけてあったそうです。
 吹田市域の二大街道の
一つである吹田街道にか
けられていた橋を記念す
るものとして、この石柱
はたいせつなものです。

(近辺の地図)

昭和六十年三月 吹田市教育委員会

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