7.吹田市山田市場2の道標

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吹田市山田市場2私邸内 元、吹田市山田市場2の旧亀岡街道から、北西の山田へ向かう道が分岐する三ツ辻の北部に建っていたらしい。現在は民家玄関脇に南を正面に建つ。
尖頭形角柱 62x19x19p(頂高3p)
N34.788037 E135.541056


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南面
┌────――――――――――――――┐
│  いばらき            │
│右                 │
│  そうじ寺            │
└――─―――――――――――――――┘
(「ば」は変体仮名「者」に濁点)

東面
┌────――――――――――――――┐
│大 蜂熊講中            │
│祭     建之          │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│  かちを寺            │
│左                 │
│  やまだ             │
└――─―――――――――――――――┘
(「だ」は変体仮名「多」に濁点)

(『すいた歴史散歩』<増補版>吹田市教育委員会では、7番目)
(『摂津市の道標』市文化財愛護会、平成20年刊では2)
(電柱建設により遺棄されていた道標を、保存されていると聞く。多分元位置は吹田市山田市場1―25
N34.787949 E135.540852
 辺りの三ツ辻で、ほぼ現在と同じ向きで置かれていたといたと思う。
  即ち、南西から北東に進む亀岡街道に、南東の味舌或いは別府方面からの道(市場街道)が突当り、
 南西に30m程進んだ元の三ツ辻の北東角で山田(勝尾寺)に向かう道(小野原街道)が分岐していたも
 のであろう。
  尚、総持寺(二十二番)から勝尾寺(二十三番)に向かうなら、亀岡街道を南西に下って来て、右折
 (北西に)するものと思われる。)
(2020年摂津市域分として再調査しました。地名の他に勝尾寺と総持寺を案内する事から、西國三十三ヶ
 所巡礼に関わる団体「蜂熊講」が、毎年か、何十年に一度かの「大祭」の際に建てたものであろう。講
 につては不明。
  一概には言えないが、変体仮名を使用しつつも濁点を使っている点で、余り古いものでは無いかも知
 れない。
 ただ上部はツルッとしており、よく触れられていたようで、盃状穴まではいかないが凹みも見える。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南に望む
 亀岡街道に沿って  下部の文字が  門を出て左右が
 ほぼ南面して建つ】  少し見えない】  亀岡街道である】

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【4.道標南面拡大 【5.道標西面拡大 【6.道標北面右中部
 「いばらき」  「かちを寺」  「蜂熊講中」とあり
 「そうじ寺」とある】  「やまだ」と読める】  「建之」と続く】

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【7.道標を西に望む 【8.道標元位置電柱を 【9.市場街道(後は路地)より
 民家敷地内の為  北東に望む  亀岡街道(東西)を望む
 道標以外ボカシ】  左(北西)山田へ】  左30mを北に小野原街道】

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【10.吹田市の道標】 【11.摂津市の道標】

 【追記 2023年9月23日】
 「蜂熊講」に関する情報を追加します。出典は「吹田市立博物館、バーチャルミュージアム、オンライン講座」の
 「亀岡街道 大阪への道」からとなります。
 「蜂熊講は、摂津市千里丘3丁目にある真言宗蜂熊山金剛院に関係する講」と説明されている。金剛院は現地より
 400m程東に有り、その講中がこの辻に案内を建てる事に違和感はないでしょう。
 尚、寺名は「蜂前寺」とあり、金剛院はその一院で有ったのかもしれない。
 国会図書館『摂津名所図会』巻7、コマ15には「霊蜂山蜂前寺」として載り、本堂の艮(北東)に「蜂塚」があり、
 西一丁に西門跡があるとし、大きな寺であったかもしれないが、当時でも金剛院と言うとしている。
 【写真5.差替え 2023年11月14日】
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