18.吹田市上山手町11の道標(愛宕神社の道標)

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吹田市上山手町11 関大中央グランドの東、小高い丘の上の愛宕神社の、東斜面に東を正面に建つ
蒲鉾型角柱 84x東面31x20p(頂高4cm)(碑面72x20x深さ1cm)
N34.775349 E135.516151


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北面
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│大正十四年二月建之         │
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東面
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│山の谷               │
│     ニ到る          │
│千里役場              │
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南面
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│山の谷青年會            │
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西面
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│(なし)              │
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(大正十四年は、西暦1925年となる。)
(『すいた歴史散歩』では、18番目)
(同書に、「もと豊津方面から原に通じる名神高速道路沿いの道の交点にあったようである。」とあり、
 山の谷を大正12年の地図で見ると、現在の上山手町15辺りが集落の中心のようで、
 千里村役場は、大字片山字原(元千里小学校跡)にあったらしく、現在の、原町2丁目28の池辺りに
 役場の記号が書かれており、そことすると、右方向でこの二地点に進める分岐点は二ヶ所あり、
 一点は、現在の吹田市山手町3丁目34−1(名神の南側)の南(現四辻)
N34.770878 E135.513145
 辺りで、
 二点目は、千里山東3丁目10、関大の校内(名神の北側)となる
N34.7728 E135.5104
 辺りが挙げられる。何れも道幅半間(90p)以下の小径の三叉路となっている。
 この内、前述書の「豊津から原に通じ」となると、第二地点では遠回りとなり、第一地点であろうか。)
(『吹田の歴史学習資料』昭和53年、吹田市教育研究所編、15にある「市場ニ到ル」は「役場」の誤り。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 白看板後ろ当道標  白手摺は参道階段  道路より一段上の
 奥は上山手会館】  中央に当道標】  少し平坦部にある】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標を南西に望む 【6.吹田市の道標】
 神社参道の階段から  北東上部の角が
 見下ろす、右端に道標】  少し欠けている】
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