14.箕面市粟生間谷(勝尾寺山門南西)の道標

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箕面市粟生間谷2914 勝尾寺山門南西、道路南側バス停横に北を正面に建つ
(箕面方面行きバス停、南側の少し開けた場所の山際擁壁との間。)
山型角柱 104x北面21.5x16p(頂高4p)上部より66p(中央部)で折損、(台石14x北面53x50p)
N34.864297 E135.492686


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北面
┌―――――――――――――――――┐
│        箕面       │
│(右指差像)右    道     │
│        中山       │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘
(粗削りのまま)


(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、37と思われる。)
(同書では、小池院の裏手の石柱二基の中の一基とし、古くは旧本坊の土塀を背に立っていた。とあり、更
 に移設され、現在地にあるものと思われる。
 尚、現在では小池院は存在しないようであるが、現在の宝物館の東方、墓地に掛かる辺りではないかと想
 像される。
 が、明治の地図ではその辺りに辻は無く、道標も不要と思われる為、そこへも移設されたものと思われる。
 では、元の場所に相応しいのは、現本堂から東向きに石段を下りてきた南側、当時は東西の道と、南山門
 への道の三ツ辻の南側に北を向いて建てられていた
N34.865620 E135.492114
 辺りとしたい。
 この時、右は、現在の滝道方面(西)を指すことになる。
 東への道は、すぐに南へ曲がり、現在の池の東を廻る道へ続いていたと思われ、細道と読み取れ、人の流
 れを考えると三ツ辻の、南西部に道標を置くのが良いのではないか。)
(右方向を指差す像が浮き彫りされており、彫られた筆跡、石の風化等から見て、明治期の物ではないかと
 思うが、もう少し古いとするなら、江戸時代の絵図(7,8)に、小池院の南に三ツ辻が有り、その地点(今
 は池か?)とする事も可能。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む
 左(北)勝尾寺山門  奥(西)箕面へ  この位置には
 右に当道標】  明治地図にこの道無】  移設されている】

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【4.南面上部拡大 【5.道標を東に望む 【6.北面、新しそう
 右指差し方向は  左端ダンプカーの所へ  上から66pの所で
 西、箕面方面】  南から表参道が来る】  折れた跡が見える】

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【7.西国廿三番札所 【8.勝尾寺付近 【9.箕面市の道標】
 勝尾寺案内之絵図  元禄頃の絵図
 本堂右下に小池院】  山門から北へ突当る】
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