18.茨木市郡山二丁目の道標

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茨木市郡山二丁目16 中池の北東から村中を道なり西に登り420m、村外れの三叉路の北西部に東を正面に建つ
自然石 67x東面40x36p(埋設部10p含まず)
N34.833406 E135.546486


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東面
┌────――――――――――――――┐
│右 かちおう寺道          │
└――─―――――――――――――――┘

南面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

北西面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では83)
(同書の「この道標は多くの旅人の案内というよりは、近くのかなり様子を知った人を対象として建てられたものであ
 ろうか。」と解説はよく理解できないが、確かに、明治の地図を見ても、主要な道としては描かれていない。
 が、現地では、意外に人が通り、それもすぐ西にある新たな住宅へでは無く、南北に通過されているようである。思
 うに中穂積から、西国街道の宿川原に出る近道として通行量は多く、郡山集落への唯一の辻としてみれば、道標があ
 っても不思議ではない。)
(2018年2月に、開発の為、一時近くに移設してあったものが、ほぼ元位置に復元されたようであるが、地蔵の並びは
 変わっているような気がする。)
(上から見ると、円を十字に4等分した様に見え、東面と南面がほぼ平面で、北西側は半円をなし、東面に案内が彫ら
 れている。
 南面に、「右総持寺」「すぐ勝尾寺」等と彫る事も出来そうだが何もない。実用性第一主義の道標では無かったので
 しょう。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北に望む
 奥、新郡山へは  奥(東)郡山集落へ  奥(北)宿川原へは
 昭和42年、道無】  左、宿川原、勝尾寺へ】  急坂と階段を下る】

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【4.道標を北西に望む 【5.道標東面拡大 【6.偶然移設中に遭遇
 左端が当道標  「右かちおう寺道」  開発に伴い移設中を
 左奥は最近の道】  「寺道」はくずし字】  元の位置に復元中】

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【7.茨木南部の道標】
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