35.茨木市上音羽167南の道標

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茨木市上音羽167−2 府道110号から東北下方集落へ分岐する三ツ辻の東に、西を正面に建つ
(110号北側のガードレールの裏になり見難い。)
尖頭型角柱 北面高103x西面22x21.5p(頂高3p)(北下がりの地に立つため北側面が最も高い)
N34.907253 E135.51842


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西面
┌────――――――――――――――┐
│左 下音羽を経て亀岡尓至(る)   │
└――─―――――――――――――――┘
(「尓」は「に」、(る)は『わがまち茨木』より)

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

東面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

南面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では30)
(同書に「上音羽上ノ谷の入口に立っている。ここより左へ下がると下音羽へ行く道でその分岐点…」としている。明
 治44年地図で見ると、ほぼ今と同じ位置から、上ノ谷集落へ下り、東に転じ、磨崖仏を過ぎて、中ノ谷、下ノ谷と谷
 筋を通る道が見え、素戔嗚神社の山裾を廻り下音羽(見山)へ続く道が見え、辻が多く分かり難いが現在もそのまま
 通行可能である。府道から分岐する道は、他にもあるが、この辻が、下音羽、その先清坂峠(府道43)を越え亀山へ
 の最短経路になり、案内は的確である。
 文字はくずし字で書かれ、単に地名を示すだけではなく文章的である点で珍しいか。下部は埋れていて「る」は未確
 認。
  現在の分岐道は、自動車も通行可能なように東に長く傾斜がとられているが、当時は今よりも鈍角に分岐する道で
 あり、「左」は尤もであろう。
(案内に有る「亀岡」の表記から、Wiki「亀岡市」に「明治2(1869)年、三重県亀山市と混同するため、亀山から
 亀岡へと改称される。」との言を信ずると、この年以降の建設と考えられる。
  一方、明治25年地図(22年測量)にはこの道が無く、『わがまち茨木』(街道編)、教育委員会、平成4年刊には、
 明治25年に、今の道が造られたと記述がある。22年地図では、谷筋の集落を通過する道が聯路(里道)として描か
 れており、この道標に移設が無かった場合は、建設年は明治25(1892)年以降になるであろう。22年地図の谷筋道
 に案内に相応しい辻が無さそう(直線東0.5qに三ツ辻あり)な点や、石の風化の度合い、案内の記述が文章的であ
 る事等、明治25年以降に建設されたと思える。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を東に望む
 奥府道110を泉原へ  奥(西)余野へ  奥(北東)集落へ
 左、上ノ谷集落へ】  府道は茨木余野線】  谷に降りきると磨崖仏】

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【4.道標を東に望む 【5.道標西面拡大 【6.道標西面下部
 手前民家の取付道  右にガードレール  下部の土を除けると
 がありK字状を成す】  後に電柱と見難い】  「亀岡尓至」まで】

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【7.茨木北部の道標】
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