8.高槻市天神町2の道標

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高槻市天神町2丁目 天神1丁目交差点の西200mの六辻交差点を更に北西に50mの
道の北側にある、霊松寺参道の階段上部、山門の南西部に南を正面に建つ
尖頭型角柱 123x南面31x30p(頂高4p)(座像部27x22x2p+0.5p突出)(台石12x63x63.5pは含まず)
N34.856301 E135.615128


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南面
┌―――――――――――――――――――┐
│(座像)靈松寺道           │
└―――――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│すく そうし寺道           │
└―――――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│天明六丙午仲春上旬 中西繁□建之   │
└―――――――――――――――――――┘
(□は「禾」篇に「氏」の字、タダ、マサニと読むらしい)

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│春く 京みち             │
└―――――――――――――――――――┘
(「春」は変体仮名「す」)


(天明六(丙午)年二月1日とすると、西暦1786年2月28日火曜日となる。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、16)
(同書には、芥川二丁目の西国街道沿いに立つ姿で紹介されているが、現在その地点には新しい石標が建っており、こ
 の道標は役目を終え、霊松寺山門南西前に建てられている。
 西国街道から、この寺へは、上記元位置からが最も近く、その地点で案内に不整合も無く、設立当初の元位置として
 も、問題はないとして、
N34.853651 E135.615487
 辺り、高槻市芥川町2丁目24−1の四辻北西部とする。)
(霊松寺の絵が、国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [6]のコマ番号47から後ろに載るが、元地
 点の辻は描かれていない。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北に望む】 【3.道標を北東に望む】
 山門の左、当道標】

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【4.道標東面拡大 【5.道標南面上部 【6.道標北面上部
 「すく総持寺」は  座像は不明、頭頂部  「天明六丙午
 西国街道を西へ】  が少し窪んでいる】  仲春上旬」とした】

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【7.元位置辺りに建つ 【8.同左北面 【9.元位置を北に望む】
 新しい石標の南面】  道標の機能無】

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【10.高槻南部の道標】
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