53.高槻市原821の道標

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高槻市原821 原八坂神社鳥居の南100m南北の道から西に分岐する三叉路の南西角に北を正面に建つ
自然石 54x44x23p(下部13p盛コンクリート含まず)
N34.895377 E135.59989


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北面
┌―――――――――――――――――――┐
│ 妙見                │
│左   道              │
│ あな於               │
└―――――――――――――――――――┘
(「於」は変体仮名「お」、穴太寺であろう)

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、75)
(同書に、「ここから西北に進み才所をとおって穴太寺あるいは妙見山に至る道筋であろう。」とあり、写真と地図が
 載っている。それを見る限り当時と同じ位置に有るように見えるが、向きが90度時計方向に廻っている。即ち、現
 北面が東面となっており、辻の形状から見ると、南から来た人には、「左」が西方向に折れることを示して問題はな
 い。現状では、左が「南」を指してしまい回転させられたとしたい。
  雰囲気的に、辻の北西部で南面していたのではないかと思ったが、ご近所の方の話では、「嫁いで来た時には此処
 に有った。」と、又、「道路工事の際に一度溝に落とし、その後適当に置かれた記憶がある。」との事で、少なくと
 も昭和40年頃からは今の位置であったと思われる。)
(「穴太寺」への道は、ここで西に折れた後、北西方向へと谷伝に地獄谷峠を越え、亀岡市東別院町栢原で府道46号に
 出る道であろう。西国街道の桧尾川橋から川沿いに、成合、原、栢原を「丹波古道」する資料もあるようで、この近
 辺ではこれを「京坂越え」と呼ぶものかと思う。一方「妙見」へは何処で分岐するものか、前書の「才所をとおって」
 に従えば、峠で南西に分かれ茨木市の車作へ出るか、一度栢原まで下った後、清坂峠を目指すのか、良く分らない。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標の辻より北を望む
 奥(西)穴太寺へ  奥(南)原立石へ  左、塀北に当道標
 左、原立石へ】  右、妙見、穴太寺へ】  奥、八坂神社鳥居へ】

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【4.道標を南東に望む 【5.道標北面拡大
 今は北面している  「妙見」
 昭和58年では東面】  「あな於」とある】

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【6.高槻中部の道標】
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【7.高槻南部の道標】
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