54.高槻市杉生縄手ノ北の道標

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高槻市杉生縄手ノ北12 杉生妙楽寺境内南東部壁沿い植込み中に北を正面に建つ
自然石 66x17x12p(17pは中央部)
N34.969877 E135.582388


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北面
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│右よしミね              │
└―――――――――――――――――――┘

西面
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│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、74)
(同書に「もとどこに立っていたかは明らかでない。」とあり、移設であろう。
 明治の地図で近辺を見ると、候補として二ヶ所挙げられる。
 一つは、現府道西へ90m地点の三ツ辻、
N34.970325 E135.581408
 もう一点はそこから谷の南側90mの神社の北側三ツ辻
N34.969619 E135.580870
 である。
 どちらになるかは、ここから、田能方面への主要道が、谷の北側を通っていたか、南側であったかを決めることに他
 ならないと思う。
 明治の地図では、南側が小径として、北側は更に細い道として描かれている。唯、現樫田トンネルの上部を越える峠
 道では、北側の道が里道として描かれているので、第一地点の方が可能性は高いと思われる。(大正の地図では北側
 が広い道)依って、西から来て左(北東)寒谷と、右(東)田能に分かれる辻(候補1)に、西面して置かれていた
 ものとしたい。
  同書にもある様に、二十一番札所穴太寺から、二十番、善峰寺への巡礼道を逆打ちする人への道標であろう。)

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【1.妙楽寺を北西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を東に望む
 奥(西)杉生バス停へ  左白壁下が府道  右下、府道6号
 手前、善峰寺へ】  手前に門扉がある】  奥、樫田トンネルへ】

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【4.道標の北面拡大 【5.道標北面上部より
 石の風情にあわせて  中央部の幅17p
 細い字で彫られる】  下部の厚み12p】

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【6.高槻北部の道標】
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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】
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