1.豊能町川尻の道標

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豊能町川尻72−5 余野街道旧道と思われる三ツ辻の北部に南を正面に建つ
(国道423号金石橋交差点を府道4号南へ250mの宝筐院塔から、西脇道を南へ下り60m)
自然石 65x38x27p(左右最大幅40p)
N34.903996 E135.482425


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南面
┌―――――――――――――――――――┐
│   右ハ かめやま         │
│梵字       ミ(ち)      │
│   左ハ さい志よ         │
└―――――――――――――――――――┘
(梵字アは大日如来の種子)
(かめやまは現「亀岡」、さいしょは「在所」)

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│正徳四甲午六月(日)         │
│ (施主殿方)            │
└―――――――――――――――――――┘
(( )は『石の文化財』より)

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(正徳四(甲午)年六月1日とすると、西暦1717年7月12日木曜日となる。)
(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂では、18頁)
(同書に、「池田街道と呼ばれた…この街道は、天保八(1837)年の余野村『明細帳』によると、道幅は四尺(1.2m)と記
 されている。」とあり、ここから府道4号の「宝筐院塔」に続く「右」の道は今でもその程度で、こちらが街道筋で
 あったことが解る。
 大正の地図で見ると、宝筐院塔より更に北に山裾をめぐり、平野のバス停の南に出る里道(間路)が見え、江戸時代
 の道であろうと想像できる。
 又、「殿方は川尻村内の集落であり…」とあり、私は読み取れなかったが、村人が建てたとしている。「殿方」は金
 石橋を西に渡り府道4号を北に進んだバス停にその名があり、ここに立てても不思議はない。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を東に望む
 右(北)宝篋印塔へ  左上(北)宝篋印塔へ  右上が現府道4号
 左奥、R423号へ】  右、旧道か高山方面へ】  左に小車利助の碑】

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【4.道標南面拡大 【5.道標東面の全体 【6.道標東面拡大
 左上部が欠けている  苔が付いて読めない  中央に「正徳…」と
 近接移動はあるか】  が損傷は無いようだ】  あるが、施主はどこか】

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【7.豊能町の道標】
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