6.豊能町東ときわ台長尾街道の石碑

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豊能町東ときわ台8丁目20 ゴルフ場からの道が住宅地に出る直前の道北側に北を正面に建つ
(道標ではありません)
尖頭型角柱 90x24x24p(頂高6p)
N34.896924 E135.446162


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北面
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│折此宝塔能勢郡野間庄妙見宮奉献上宝塔之 │
│段奉納主法華経壹巻也中段三宝祖師妙見大 │
│薩下段納申仮主過去A書寫戒名俗名為法界 │
│B可致建立者也然所右建立励當吉川村江地 │
│両銀子相組宜申儀者也其余銀欲以永代日碍 │
└――――――――――――――――――――┘
(A:撰、Bヨの下にレンガ)

東面
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│王御手御縁日共御燈明可差上者也     │
│ 天明六丙午年八月中旬日        │
│  大坂 神力講世話人 謹而 建之   │
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西面
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│  冨士川菊八             │
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南面
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│(なし)                │
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(天明六(丙午)年八月15日とすると、西暦1786年9月7日木曜日となる。)
(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂には、記載なし。)
(大正の地図で見ると、池田市古江から続く、旧妙見道となっており、吉川村に入った地点に立っている。分岐する道
 等は見当たらず道標を立てる必要は無いと思われる。北面の内容を見ると、妙見宮へ宝塔を献上し、吉川村へも何某
 かの銀子を出したようで、吉川村に入った地点に建てるよう励まされたと思われる。よってこれ自体は宝塔でなく、
 道標でもなく、村境を示す機能を持つ顕彰碑と思われる。(大坂では、「金子」でなく、「銀子」を用いたらしい。)
  西面にある個人名は、講の世話人というよりも、お金を出した人であろう。奥ゆかしく彫られている。
  旧妙見道は、現兵庫県川西市と大阪府池田市・箕面市のほぼ境界線上(尾根筋)を通過する道で、ここから、とき
 わ台5丁目の北までは、中央公園の中に一部痕跡が残る様であるが途切れており、5丁目から、妙見口駅までは残っ
 ている。)

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【1.石碑を北東に望む 【2.石碑西横の案内板 【3.石碑北面下部
 奥、ときわ台住宅地  「長尾街道と宝塔」  左から2行目に
 背後、ゴルフ場から古江へ】  とあるが、宝塔ではない】  「建立励當吉川村江」】

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【4.石碑西面下部
 個人名だけが
 小さくある。施主か】

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【5.豊能町の道標】
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