12.豊能町吉川上杉池南西の道標

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豊能町吉川 国道477号沿い上杉池南西土手下の歩道(三ツ辻跡か)に北東方向に寝かされている
尖頭型角柱 129x19x13.5p(頂高5p)(基部35x23x15p高さに含む)
N34.91895 E135.450076


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上面(元東面か)
┌―――――――――――――――――――┐
│右 黒川               │
│     道             │
│左 吉川               │
└―――――――――――――――――――┘

左面(元南面か)
┌―――――――――――――――――――┐
│     荒木            │
│ 世話人 三輪            │
│     瀧             │
└―――――――――――――――――――┘

右面(元北面か)
┌―――――――――――――――――――┐
│           大阪      │
│明治十一年寅一月建之   以他力建之 │
└―――――――――――――――――――┘
(「他力」は「他刀」と彫られている)

下面(写真無)
┌―――――――――――――――――――┐
│(不明)               │
└―――――――――――――――――――┘


(明治十一年は、西暦1878年となる。)
(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂には、未記載)
(この位置に建っていたものなら、東面していたと思われ、右(北)は黒川、左(南西)は吉川の町へ分かれる、三ツ
 辻であったと想像できる。勿論当時は現国道477号は無く、「左吉川」は、妙見口駅に向かう道であろうが、これも
 明治38年「花折街道」開通とあるので、吉川の村中からは旧妙見街道、古江町方面に繋がっていた道を示しているの
 であろう。
 東への道を明治の地図で見ると、池南東の鳥居を潜り、階段を登り尾根筋に出ていた様で今のハイキングコースとは
 少し違っているようである。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南に望む
 中央土手下に小さく  奥(北)ケーブル黒川駅へ  奥(南)ときわ台方面へ
 見える石の右下にある】  右、上杉尾根旧参道へか】  交差点右、妙見口駅へ】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標上面拡大 【6.道標の上部
 左二石は「常夜燈」  「右黒川、左吉川」から  土手上より見下ろす
 とあり、右が当道標】  東面していたと思われる】  稜線と頭頂は面取りす】

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【7.道標の右面上部 【8.道標右面下部 【9.道標左面拡大
 「明治十一年寅  「以他力建…」と  世話人の三人目
 一月…」と読める】  読んで見たがどうか】  「瀧」としたがどうか】

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【10.豊能町の道標】
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