41.能勢町吉野奥田橋北の道標(折れて二基)

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能勢町吉野 R477と府道106号が合流する奥田橋交差点南部に北を正面に折れて二つに並んで建つ
(東側が上部で西側が下部)
角柱 西部52x21x15p、東部61x21x15p(共に碑面幅25x20p)
N34.984039 E135.473428


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北面(左右を上下にして)
┌――――――――――――――┬―――――――――┐
│国法依栄 右牛堂(側ヲ)  │経テ       │
│     釈迦ガ嶽(七面) │山        │
│法人因貴 御宝殿マデ(十七)│丁        │
│     左(妙見御宝殿) │迄約一里半    │
└――――――――――――――┴―――――――――┘
(( )部は欠如又は埋没、『能勢の道しるべ』より)
(「迄」はシンニュウに「占」と刻む)

西面
┌――――――――――――――――――――――――┐
│                信者中     │
└――――――――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――――――――┐
│(なし)                    │
└――――――――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――――――――┐
│(なし)                    │
└――――――――――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では41)
(同書には昭和40年(1965)時代の折れていない写真が、現状の折れた写真と共に記載された入る。ただ折
 れた二本の立つ位置が、現在と逆であり、右側に上部が建てられている。
 又「大正末期から昭和初期の七面山復興初頭に造立された」とあり、同書の言う上部の「標語」が時代背
 景を示すものか。)
(「牛堂」は現「涌泉寺」、「釈迦ガ嶽七面山」は現能勢町倉垣1861の「七宝寺」で距離もそれぐらいであ
 ろう。)
(建立当時の地図が手に入らず、辻の位置や形状が不明なため詳細は論じられないが、明治の地図と変らな
 いものとすると今の奥田橋東詰めの辻でなく、やや西よりの現府道106号へ分岐する三ツ辻に有ったので
 はないか。)

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【1.道標を南東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を上から見る
 左上、国道477  左側が元上部  左、上部が背が高い
 右へ、府道106】  右側が下部であろう】  上部の一部は埋没】

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【4.道標を上下合成 【5.左側道標の下部 【6.道標西面中部
 上部二枚下部一枚  折れるだけでなく  「信者中」と読めるが
 から合成した】  斜めに欠けてもいる】  左側の西面は見えない】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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