64.能勢町地黄清普寺の道標

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能勢町地黄815 国道477東郷バイパス盆橋(野間神社西方)から北730m三叉路を西に入り寺門前北側に
東を正面に建つ
角柱 84x15.5x17p
N34.958742 E135.457093


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東面
┌――――――――――――――――┐
│        地黄      │
│右除厄祖師霊場 清(普寺)   │
└――――――――――――――――┘
(( )部は『能勢の道しるべ』より)

南面
┌――――――――――――――――┐
│従是左   地黄        │
│除厄祖師霊場 清普(寺 大)  │
└――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では64)
(同書に「清普寺から100mばかり手前の参道横に、…道標が立っている。…右側に道路が無く通例と異に
 する。しかし、右方に清普寺があるからその意味は理解できる。」としているがこれは多分現在(2019)
 の道の状態から書かれたものであろう。
 明治の地図を見ると、元有ったと想像される地点(現在は石柱2本が道の両脇に建つ)は南から北仏坂峠
 へ向かう直線の道から西に参道が分岐する三ツ辻で、北から来た場合は「右」に参道があり、南から来た
 時は左に参道へ進む事を示し何ら不自然ではない。南行時に東面が見易い様に三ツ辻の北西部に、現在の
 向きのまま立っていた思われる。
 因みに場所は
N34.958560 E135.457749
 現、二本建つ石柱の北側の辺りであろう。
  尚、南への道は現在跡形もないが、徐々に東に折れ川に突き当っていたようで、バイパスより東からは
 地黄の集落から城跡まで続く道が今も残っており、村中の明治の旧能勢街道との辻には、台石に「清普寺」
 と刻まれた、ひげ文字題目塔も残り、これ等も寺標とするより、道標扱いすべきかもしれない。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南東に望む
 右端に小さく道標  奥(西)清普寺  ガードレールは東郷バイパス
 右手前は仏坂峠へ】  右、駐車場へ】  旧参道分岐点に石柱】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標東面下部 【6.旧能勢街道辻に立つ
 燈籠手前が当道標  「…清」迄は見える  題目塔等を西に望む
 寺標より近い道標】  移設により埋没か】  右側台石に「清普寺」】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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