30.能勢町大里221の道標

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能勢町大里221 国道173山辺口交差点から府道54号を東へ550m、ライスセンター正面入口西に東を正面に建つ
自然石 50x32x23p(三面とした時南西面は約40p)
N34.974279 E135.40478


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東面
┌――――――――――――――――┐
│(梵字) 是より左三(たミち) │
└――――――――――――――――┘
(( )部は『能勢の道しるべ』より)

北面
┌――――――――――――――――┐
│是より右さゝ(やま)      │
└――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』では梵字を「サ」観音種子としている。サの場合右側は縦にほぼ一直線の様であるが、
 これは「d」の様に見え、「キャ」とすべきかも知れない。「キャ」は五輪塔や卒塔婆の一字目「空」、
 角塔婆の東面に書かれるとするものあり。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では30)
(同書に「旧三田道はこれより南側の山腹を和田子橋へと通じていた。右の篠山道はこれより城山の山脚を
 巡って東山辺平井所へ出る。」としている。
  明治の地図で見ると、この地点は、東の宿野から来た道(府道54号)が北西と南西に分岐する小さな峠
 の三ツ辻として描かれ、自篠山至池田(現R173相当)を篠山への道とすると、この近辺では山辺川沿いで
 はなく、西の山田川沿いを進み今西から浮峠を越え山辺神社の西で山辺川を渡り今のR173となり北へ進む
 道であった。依って道標の位置からこの道へ出る経路は、当然北西が最短で、「是より右さゝやま」と表
 現したものであろう。
 一方三田への道が三草山を越えたか、猪名川町の阿古谷を廻ったかは定かでないが森上へ出るに違いなく、
 これは南西へ山裾を廻り込み来栖へは向かわず、途中山辺川に架かる和田子橋の東で西へ分岐したものと
 思える。
  依ってここは道標を必要とした地点である。尚、現在はライスセンター入口の敷地内に立つようだが、
 西横に旧道の痕跡らしきものがあり、この西部に現在より45度程度時計方向に回して建てられていたと
 想像する。5m程度の近接移設か。)
(参考、この道標の示すであろう三田への道は、国立公文書館デジタルアーカイブ元禄国絵図摂津国(元禄
 9年)にも描かれ、近くには一里塚の印も描かれている。)
 
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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を西に望む
 右、センター内へ  右奥R173山辺口交差点へ  看板の下で見難い
 左車が旧道痕跡か】  左手前(東)宿野へ】  解説も右が左側に】

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【4.道標を東面下部 【5.道標を上から望む 【6.道標北面拡大
 「…より左三」は  三角形は三ツ辻用で  「…右さゝ」迄しか
 「より左三田」か】  右下角を東にしたか】  見えていないが】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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