3.能勢町天王長杉寺西の道標

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能勢町天王 天王交差点南西の長杉寺南60m三ツ辻から南西510m鞍部の四辻に北東を正面に斜めに建つ
(送電線下の一見三ツ辻(実は五辻か)に見える峠)
角柱 51x北西面21x19cm(南東面幅22p)
N35.033968 E135.352657


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北東面
┌――――――――――――――――┐
│右 やま            │
│     道          │
│左 六のせ           │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では3)
(同書に「六瀬村は明治二十二年(1889)発足となったが、「六のせ」は古くからの地名であり、…」とあ
 り、この地点から今の六瀬支所のある笹尾までは直線で南南西10q程度となる。明治の地図で見るとこ
 の左の道を採ると、峠を二つ越えた後、杉生新田に出て、県道12号(篠山・池田道)を南下すると考えら
 れるが、この道は小径として描かれる程度であり、主要な道には見えないが天王からでは最短の道であろ
 う。私自身は未確認の道である。)
(上記の様に、南面の「左六のせ」は「左六瀬」を示すとしたが、猪名川町のHPに「明治41(1908)年編
 集の「六瀬村地誌」に、六瀬村名の起源として、清水の広瀬、仁頂寺の鳴瀬、島の柿ヶ瀬、西畑の柿ヶ瀬、
 杉生の雲ノ瀬、鎌倉の渡瀬の6瀬から村名ができた、とあり、それ以前から「六のせ(むつのせか)」が
 村名ではなく、もう少し広い地域を示すものとして使われていたと思われる。「天保国絵図」等に「六瀬」
 らしき村名は見えない。能勢町でいう「西郷(さいごう)」のようなものか。今の読みは「むつせ」であ
 るが、昔は「むっつのせ」と促音であったかもしれない。)
(尚、同書では四辻としてるが現地は一見して三ツ辻に見える。国土地理院の地図も三ツ辻として描くが、
 数メートル北から薮をかき分けると確かに西への道が二本もあり、一本は中腹を谷に沿うよう西に、もう
 一本は尾根筋近くを南西に廻り込んでおり、五辻とすべきかも知れない。)
 
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【1.道標を南西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北東に望む
 左、道標の六瀬へ  奥(南)六瀬へ  奥(北東)長杉寺へ
 右、道標のやまへ】  左、天王長杉寺へ】  奥へ45度以上傾く】

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【4.道標を南東に望む 【5.道標の北東面左部 【6.道標の北東面右部
 磁針計は北西面に  「左 六のせ」の  「右 やま」と
 左側に案内がある】  六がやや見難い】  中央下部「道」】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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