10.能勢町垂水札場の道標

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能勢町垂水27 府道602と603の今西交差点から603号を南へ50m大木橋を渡り川沿いに西へ760mの札場
四辻の北部に南東を正面に建つ
角柱 52x南東面19x南西面15p(北東面13p)(頂高2p)(台石27x45x45p)
N34.970023 E135.383099


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南東面
┌―――――――――――――――――┐
│右 ふくすミ           │
│すくさい所 道          │
│左 三田             │
└―――――――――――――――――┘

南西面
┌―――――――――――――――――┐
│右 かめ山            │
│      道          │
│左 さゝ山            │
└―――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

北東面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(南東面「右ふくすミ」は「右福住」で篠山市福住、「すくさい所」は「直在所」、
 南西面「右かめ山」は「右亀山」京都府亀岡、「左さゝ山」は「左篠山」であろう。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では10)
(同書に「垂水の札場の四辻に立つ道標で、亀山道の今西村側の正面と、三田道の長谷村側の西面には刻銘
 があって、十字路の行き先は明瞭である。ただし正面の「ふくすミ道」と西面の「さゝやま道」とは同じ
 道を指している。」としている。ここで正面は南東面、西面は南西面となるが、現状のままでは南西面の
 「左篠山」は北西(公民館まえから山へ)への道を示し、南東面「右福住」が示す北東の府道602方面へ
 の道と矛盾が生じる。前書はそれを「同じ道に受け止めなさい」と解説したものであろうが少し無理があ
 るように思える。
  前書にもあるように南西面の「右亀山」は今西村への道としてあっていると思われるので、左が北東を
 示すためには現在の位置でなく、道を挟んで辻の南東側に立っていたなら通行人と道標の位置関係から、
 左が北東を意味しても問題はないと思われる。
  よって大きな移設がないものとすれば、四辻の東部に設置されていたものとしたいが、この場合、無刻
 銘の北西面が道に面することになり面の使い方が不自然になる。前書に「札場の辻」との表現があること
 を見ればその施設があり設置位置に自由度が無かったことなども考慮するが、札場は南面して建てられる
 ことが多く、やはりその横が考えやすい。
  上記は「篠山」と「福住」が同じ道をたどるとの前提に立ったものであるが、もし「篠山」が長谷と北
 の山田の間の山中尾根筋を進む道で現猪名川変電所の辺りに出ることが出来れば、道標の移設を考える必
 要はなくなる。現在の国土地理院の2.5万分の1地図ではそれらしき道が見えるが未踏査である。
 尚、「天保国絵図」では、垂水村から鎌倉村への道が書かれており、杉生村から杓子峠(現西峠か)を越え
 後川村となっており、こちらが自然かも知れない。
  明治の地図にも小径としてではあるが、現府道602号の南に沿うように尾根筋を進む道があり、猪名川
 変電所の西で602号に合流し鎌倉、杉生に出ているのが読み取れる。
  よって、移設等も考えずに道標の案内を素直に理解し、「右福住」(北東)と「左篠山」(西)は別の
 道とすべきであろう。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を南西に望む
 奥(西)公民館へ  右奥府道603大木橋へ  奥、山裾を回り犬海橋へ
 右、府道602号へ】  左(北東)府道602号へ】  右(西)公民館へ】

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【4.道標を西に望む 【5.道標南東面拡大 【6.道標南西面拡大
 奥、尾根筋を杉生へ  「右 ふくすミ…」  現「…左 さゝ山」は
 台石右と後は埋没】  「…左 三田」と読める】  尾根筋を杉生へを示すか】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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