23.能勢町平野稲荷坂の道標

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能勢町平野142 府道603号沿い上杉稲荷神社の北220m、道東の資材置場入口北側に南東を正面に建つ
自然石 89x70x40p(南西面26p)
N34.954763 E135.393771


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南東面
┌―――――――――――――――――┐
│  右ハざい志よミ(ち)     │
│(梵字)南無観世音菩薩 (蓮座) │
│  左ハさゝやま(ミち)     │
└―――――――――――――――――┘
(梵字はサ、観世音菩薩の種子か)
(( )部は『能勢の道しるべ』より)

北東面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

南西面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では23)
(同書に「稲荷坂を越えてきた人に左が丹波道で、右が在所道で間違わないよう教えている。ここから右の
 在所道をとれば、平野・片山・下田・平通方面へ通じるものである。明治の地図で見ると、現在の位置と
 思われる場所に三ツ辻が見え、東に尾根を巻いて下る道があり現在の能勢小中学校の北に出る小径が描か
 れている。丹波道は丹州街道とも呼ばれる。
  現在では、東への道は資材置き場で無くなっているが、道の反対側の北西斜面には地蔵なども残ってお
 り、辻であったことが窺える。『能勢町史』には片山・平通へとある。
  道の北側に安永九年と思われる地蔵が、60m先西側に昭和37年の増井の清水碑、更に南の稲荷坂峠北側
 上部には神社があり「主計(かずえ)坂、現稲荷(いなり)坂のお稲荷さん」と案内板にある。)
(峠を下ってきた人への案内と思われ、設置の向きが変わっているように思える。元は90度右回りか。)
 
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【1.道標を北東に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北に望む
 奥(北)稲地、篠山へ  奥(南)峠、上杉へ  道標はやや後ろに傾き
 右は資材置き場】  左旧道か、今資材置場】  下部は埋もれて見えず】

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【4.道標南東面左部 【5.道標南東面中央部 【6.道標南東面右部
 「左ハさゝやま」  「南無観世音菩薩」  「右ハざい志よミ」
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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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