22.猪名川町広根野尻墓の道標

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猪名川町広根北野尻19 いながわさくら通りから新しく西に延長された道から
野尻の墓地を通り池尻に出る旧道が分岐する三ツ辻の北部に南を正面に建つ
(細かく見るとマンション南への進入道路があり変則四辻の北側空き地。)
墓石 63x24x24p(頂高3.5p)(龕部25x17x-5p)(蓮華座部は墓碑面より1p出る)台石18x45x46p
N34.891513 E135.375205


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南面
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│     文政元戊寅七月十四日   │
│(地蔵像) 釋淨休         │
│     俗名 与五郎       │
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東面
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│右 みようけん道          │
└――――――――――――――――――┘

北面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
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│ 世話人              │
│    岡田利右衛門        │
└――――――――――――――――――┘


(文政元年(戊寅)七月十四日は、西暦1818年8月8日土曜日。)
(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊では18)
(同書では「信仰上菩提を弔うためにたてられたものらしい。」とある。墓石に道案内を書いたものは多く
 存在し、人の役に立つことは功徳の一つと考えられるためであろう。)
(当地は新名神の工事にともない新設された道に旧道が吸収され三ツ辻となったものであるが、明治の地図
 では、直線道に見え案内の必要があったのであろうか。安直に考えると西に下った府道324との旧三ツ辻
 辺りからの移設としたいが、墓石であることと、このすぐ北が墓地になっていることを考え合わせると、
 元々の位置から大きく変わっていないと思われる。今も南の集落から北に登る路地が残りこの延長に有っ
 た地図にも載らない辻があったように思える。多分その辻の北西部にあり、近接移動されたとしたい。)
(文政元年は4月22日の改元になるが、七月を命日とする墓石であるなら、新元号は不思議ではない。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を南東に望む
 奥、墓地前から池尻へ  右下(西)府道324へ  上の大交差点は府道12
 右、北野尻の交差点へ】  上部遠くに新名神】  直進でさくら通りへ】

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【4.道標南面拡大 【5.道標東面拡大 【6.道標西面拡大
 一部欠損もあるが  「右みようけん道」  「世話人」
 全体は綺麗である】  と細い字が読める】  「岡田利右衛門」】

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【7.猪名川町北部の道標】
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【8.猪名川町南部の道標】
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