3.猪名川町島の道標

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猪名川町島中ノ島 大島小学校の北、春日神社社殿前鳥居の西境内に東を正面に建つ
尖頭型角柱 60x24p23p(頂高3p)(台石22.5x40.5x40p)(台石下22x58x52p)
(上部龕中(23x13x-3p)に地蔵像、蓮台部0.5p浮彫))
N34.979709 E135.323579


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東面
                 ┌――――┐
┌―――――――――――――――┐│    │
│     右 のせ      ││    │
│(地蔵像)     道    ││    │
│     左 たん者     ││    │
└―――――――――――――――┘│    │
                 └――――┘
(「者」は「は」の変体仮名、「左丹波」か)

北面
                 ┌――――┐
                 │□中□ │
┌―――――――――――――――┐│  …門│
│               ││同 … │
│(なし)           ││同 … │
│               ││同 すが│
└―――――――――――――――┘│同 …門│
                 │同 利…│
                 └――――┘
(台石に六人の人名、施主か)

西面
┌―――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊では2)
(同書に「台座は薬研ぼりで風化がはげしく読みとりにくいが、近隣4ヶ村の村人の連名になっていること
 が判明した。」とある。北面の右端の最初の記述は「講中…」のように見え、二人目以降には「同」と付
 けられているので、同じ「講」に所属のと受け取れる。もし右端が村名や地名ならば近隣4ヶ村にはなら
 なくなる。)
(境内中であり移設は間違いなく、元の位置を明治の地図で見ると、現県道12杉生の交差点以外なさそうで、
N34.979944 E135.327999
 杉生郵便局の西辺りであろうと思う。
 現東面を南面又は西面させて立っていた想像すると、「右能勢」は県道602を東へ能勢町森上を示すもの
 とし、「左丹波」は北、丹波篠山市後川方面を指すものと思う。
  只、今の猪名川渓谷ラインに相当する道が、明治の地図でも田んぼのある谷筋の中央を直線的に走って
 おり、明治以前であれば不自然で、建設時期が不明であるが古い道に立っていたとするなら、今の参道下
 にあるもう一つの鳥居辺りの辻も可能性はある。)

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【1.神社を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南西に望む
 鳥居手前を左へ入り  中央墓石風が当道標  左が当道標
 広場の突当り】  左手前は牛の像】  右の石造物は不明】

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【4.道標を南東に望む 【5.道標を北西に望む 【6.道標東面拡大
 左木の奥に鳥居  境内の西端にあり  地蔵部は深く
 建物後ろに舞台か】  ここから続く道なし】  彫られている】

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【7.道標東面上部 【8.道標東面下部 【9.道標台石北面
 地蔵像は3p彫込んで  「右のせ」  右から「□中□」
 蓮台は0.5p浮彫】  「左たん者」と読める】  「…門」か】

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【10.元位置?を北東に望む
 中央右奥へ能勢への旧道
 青壁の施設前辺りか】

写真fimg5262
【11.猪名川町北部の道標】
写真fimg5261
【12.猪名川町南部の道標】
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