10.猪名川町北田原の庚申塔(道標ではない)

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猪名川町北田原屏風岳3 槻並川の宝地口橋南詰から病院への登り口三ツ辻を南の山に分け入り50m
突当り部に西を正面に建つ
(宝地口(ほうじぐち)橋は、府道12の烏帽子岩橋北の三ツ辻を北東へ約100m)
自然石 78x50x40p
N34.917338 E135.35725


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西面
┌――――――――――――――――――┐
│   大井             │
│   明治廿五年          │
│庚申塔               │
│   辰十二月建之         │
│     世話人講中        │
└――――――――――――――――――┘

南面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(明治廿五年は西暦1892年である。)
(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊では8)
(同書に「旧笹山街道の六瀬村と、中谷村の境目に立っている。現在は通り道ではない。」としている。
 この庚申塔を道標とすべきかどうか微妙であるが、同書に倣って載せた。多分旧道を東へ辿ると「大井」
 へ出るとして道標機能を持つ塔としたものであろう。明治の地図でこの地を見ると、現在の府道12に当る
 道が川沿いに通る他、「大井のバス停」やや南から、現在の大きな病院の前を通り、当庚申塔を過ぎて、
 宝地口橋南詰へ抜ける小径があり、明治より前は街道筋であったと思われる。がその地図で地名を見ると
 当地が「大井」となっており、道筋を示すものでなく、「大井の講中」又は「大井の世話人」を表すもの
 であり、道標では無いとする。)

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【1.庚申塔を南に望む 【2.庚申塔を南に望む 【3.庚申塔を西に望む
 二本の電柱の間を  奥、猪名川の木津橋  左奥(北東)府道12へ
 南に山に分け入る】  を渡り府道12へ】  当時の幹線道路】

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【4.庚申塔を東に望む 【5.庚申塔西面左側 【6.庚申塔西面右側
 道は右奥へ続くかの  右側の文面の続き  「大井」は案内ではなく
 様に見えるが】  「辰十二月…」】  左の「世話人講中」に掛る】

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【7.猪名川町北部の道標】
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【8.猪名川町南部の道標】
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