1.猪名川町柏原馬頭観音道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
猪名川町柏原尾野ヶ嶽 柏原バス停の四辻から北へ旧笹山道の小北川砂防堰堤東部に西を正面に建つ
(柏原公民館北の四辻から簡易舗装道を北へ300m、東側害獣よけ柵入口から山道60m)
馬頭観音像 54x42x15p(蓮台部高17p)(馬頭観音像頭部迄28x22x1.5p)
N35.005135 E135.300032


写真fimg6732

写真fimg6733

写真fimg6734

写真fimg6737

西面
┌――――――――――――――――――┐
│     右やま          │
│(馬頭観音)            │
│     左たんば         │
└――――――――――――――――――┘
(「ば」は変体仮名「者」に濁点)

南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『猪名川の街道』教育委員会1997年刊では21)
(同書では「摂丹の峠道入口付近にある庚申塔。道標を兼ねており、「左田んぼ、右やま」とある。」と
 しているが、「左たんぼ」は「左たんば」の誤植と思われる。変体仮名「者」に濁点の綴りである。
  明治29年刊「八上村」等の地図で見るとバス停の辻をほぼ北に登り、やがて北西に山を巻き後川中に
 続く道から北の山中へ分岐する道が見え道標が有っても不思議ではない。ただ、現在位置ではその分岐
 より少し南に下っている様で元位置は北40mの沢にある三ツ辻に南面していたと思われる。地形的には
 頻繁に崖崩れが起きそうな場所で現在地に移設したものであろう。
 すぐ西には小北川砂防堰堤もあり、その谷に流れ込む沢の一つであり、「右やま」方面には砂止め石垣
 が沢山施されている場所である。)
(風化の度合いからあまり古くはなさそうである。
 又、ご近所の方の話では「明治40年篠山に歩兵第70連隊が出来以降、伊丹の第4師団への練兵が度々通
 ったのを見た。と爺さんから聞いた。」との事で明治から戦前にかけては軍事的にも重要な道であった
 ものと思われ、篠山から伊丹への最短経路になるのであろう。)
(同書では「庚申塔」としているが、庚申塔は青面金剛像が多く設置場所等も考え合わせると庚申塔では
 ないように思い「馬頭観音道標」とした。又この像の下には牛の像が刻まれており、牛を大切にしてい
 た土地柄を偲ばせる。)
(尚、小北川砂防堰堤の南東下には小さな社がありこれが「うなぎの森」の祠であろうか。)

写真fimg6726 写真fimg6727 写真fimg6731
【1.道標入口を北に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む
 右の防獣扉を北に60m  中央右白い石が  右(南)柏原バス停へ
 左、小北川砂防堰堤へ】  当馬頭観音】  左、丹波(後川)へ】

写真fimg6777 写真fimg6772 写真fimg6762
【4.道標を東に望む 【5.道標を南に望む 【6.道標元位置かを北に望む
 大きな石の上に  背後に砂防ダムが  左(北西)後川へ
 置かれているだけ】  見えている】  右は「やま」であろう】

写真fimg6743 写真fimg6744 写真fimg6742
【7.道標西面左下部 【8.道標西面中央上部 【9.道標西面右下部
 「左たんば」  馬頭観音像  「右やま」とあるが
 と読める】  三面六臂のようだ】  ここは右に道なし】

写真fimg5262
【10.猪名川町北部の道標】
写真fimg5261
【11.猪名川町南部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ