61.三田市下槻瀬の道路元標(道標ではない)

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三田市下槻瀬809−2 県道37号木器郵便局西190mの道路南側下の竹林中に正面を下に東西に倒置
蒲鉾型角柱 129x25.5x26p(頂高5p)(基部67p含む)
N34.932662 E135.267953


写真fimg7971

写真fimg7972

上面(裏面)
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南面(右面)
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

下面(正面)写真無
┌――――――――――――――――――┐
│三田町道路元標           │
└――――――――――――――――――┘

北面(左面)写真無
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘
(すべて『さんだの道標』より)


(確認出来る面には何も書かれていない。形状等から道路元標と思われるが確認できなかった。
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では61
 同書では「三田、三輪、貴志、本庄と同形・同質・同字体である。道路改修のため移動」とする。)
(高平村は明治の市町村制で誕生し、明治29年に川辺郡から有馬郡に編入され、昭和31年三田町と合併され
 るまで存在したようで、大正の道路元標が建設されていてもおかしくはない。
 1919年(大正8年)の旧道路法では各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた(Wikiより)
 元位置を「大字下槻瀬小字深谷辻809−2」とする資料もあるが、今の何処かはわからない。)
(元標がここにある理由が『北摂続羽束の郷土史誌』西村忠孜2000年刊「三、高平西・篠山街道を訪ねて」
 に書かれており、「…京・妙見街道と高平西街道の分岐点で、後者の始まりの所でもあります。」として
 いる。そこに載る写真は正面を上に倒れている。現在(2019)では高平西街道が県道37号、京・妙見街道
 が県道323号方面となろう。)

写真fimg7973 写真fimg7975 写真fimg7970
【1.元標を南西に望む 【2.元標を西に望む 【3.元標を北西に望む
 左、木器バス停へ  反射鏡左下奥に  上面と南面(手前)
 橙色反射鏡後に有】  倒置されている】  には何もない】

写真fimg7011
【4.三田北部の道標】
写真fimg7009 写真fimg7013
【5.三田西部の道標】 【6.三田東部の道標】
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