108.三田市四ツ辻の道標

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三田市四ツ辻1100−7 国道176号の四ツ辻交差点から西へ県道309を1.2qの三ツ辻の南東部
(南東からの細い道との合流点東部)に西を正面に建つ
山型角柱 60x23x16p(頂高3p)
N34.948997 E135.159924


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西面
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│  右 三 田 旧道        │
│奉順拝西國三十三所供養墓      │
│  左 花山院 三田        │
└――――――――――――――――――┘
(「養」は「美」の横に「良」と刻む)

南面
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│明治廿五年五月 建         │
└――――――――――――――――――┘

東面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│  同行二人            │
└――――――――――――――――――┘


(明治二十五年は西暦1892年。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では108)
(同書では「平成10年度整備。」とある。)
(明治の地図で当地は西の上相野方面から来た道が東の四ツ辻と南東の長坂に分岐する三ツ辻に描かれている。
 (三本の道は共に聯路である。)四ツ辻に出れば、現国道176に相当する道があり三田への主要道は今と変
 わらなかったと思うが、三角形の二辺を通過し距離が長くなり歩行者にはメリットが無い。三田を目指した
 場合に左右の道は現2019年の三田市長坂624の五差路で出会い、南東(右)への道の方が近い。
  ここで西面の案内を見ると、題目の右側「右三田」の下に細く「旧道」とあり、左側の「左花山院」の下
 に「三田」とこれも細く刻んでいる。即ち建立当時は上部の案内だけで良かったものの、ある時期からこの
 辻を東に向かう道が三田への主要道に整備された為追刻が必要になったものであろう。同書にある平成10年
 ではないと思うが、県道の整備履歴を調べれば追刻の時期も絞り込めるであろう。)
(南面の「廿」は「サ」に「、」としており「二十」を示す一字と見なした。明治二十五年は西暦1892年。)
(題目部分の「奉」は同書に従った。「順拝」の「順」は「頁」に見え、「拝」は「拜」に近かく、「養」は
 「美」の右に「良」と刻んでいる。又「塔」とせず「墓」のクサカンムリの横棒なし「ソ」か「八」として
 おり読み下しは「墓」としたが一般的な墓ではないと思う。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を南西に望む
 左R176四ツ辻交差点へ  右奥(南東)長坂へ  奥(南西)300mに
 右(南東)長坂へ】  後はごみ置き場】  JR相野踏切】

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【4.道標を東に望む 【5.道標西面拡大 【6.道標西面上部拡大
 辻の中央に向いて  下部は追刻と  上部は元のまま
 建てられている】  考えられる】  残っている様だ】

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【7.道標西面下部拡大 【8.道標南面下部 【9.道標北面下部
 右「…田旧道」  「…廿五年五月建」  「同行二人」
 左「…院三田」】  と読める】  と読める】

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【10.三田北部の道標】
写真fimg7009 写真fimg7013
【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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