104.三田市田市井ノ草の道標

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三田市井ノ草 東山八満神社の南から北西200m、池の北西部の筋違い四辻の南東部に西を正面に建つ
蒲鉾型角柱 54x20x13p(頂高3p)(龕部下から17pより24x13x-0.5p)(像は+1p浮彫)(台石8x32x30p)
N34.948006 E135.186638


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西面
┌――――――――――――――――――┐
│      (右□□山)      │
│(地蔵菩薩像)           │
│      (左□□□)      │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『さんだの道標』より)

南面
┌――――――――――――――――――┐
│   花月宗(□□□)       │
│ 為                │
│   月江宗(浄□□)       │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│   …文… 年          │
│     八月八日吉…       │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では105)
(同書に「陽刻地蔵菩薩像。」とあり、案内部(西面)は誤植を考慮して「右□□山」「左□□□」としている。
 現在2019年では剥落等が激しく、地蔵像かも判定し難く、蓮華座のすぐ右下に「右」があると言われればそうか
 もと思える程度で読むことが出来なかった。
 明治の地図で当地を見ると南東から来た道が此処で西と北に分岐する三ツ辻に見え、道標が建っていたならその
 向きが南面又は東面していて欲しい様な辻である。案内が読めないので勝手な想像は止めておきますが、花山院
 から清水寺への経路上ではあろう。)
(北面について同書は何も書いていないが、紀年銘が刻まれているのではないかとしたい。理由は「年」のような
 字が右側最下部に見え、左側にその他数字らしきものが「月」とともに読み取れるからです。
 又、年の前には年号の一部かも知れない「文」或いは「大」とも見えるものがある。しかし年の上の数字部と思
 われるところは大きく欠損しており年数は求められないかも知れない。
  江戸期に「文、大」の二文字を含む年号は、寛文、元文、文化(1804〜)、文政、文久(1861〜)があり、
 明治以降では大正がある。建立年が絞り込める可能性も残り、今後の調査としたい。)

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【1.道標を南東に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北東に望む
 奥、二つ目の池を  奥(東)は池の堤  右は東山八満神社へ
 東に八満神社へ】  墓を過ぎ須磨田へ】  左(西)井ノ草へ】

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【4.道標上部より西面を 【5.道標西面下部拡大 【6.道標北面上部右
 見下ろす  蓮華右下は「右」  「文、大」等年号か
 像部も判然としない】  と言われればそうか】  左「八月八…」か】

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【7.道標南面中部拡大 【8.道標北面下部左 【9.道標北面下部右
 戒名であろうか  「八月八日吉…」  右下に「年」らしき
 二人の名前がある】  の様にも見える】  ものが見えるか】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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