40.三田市上青野の道標

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三田市上青野956 県道308号上青野バス停ロータリー北190mの三ツ辻北部に南を正面に建つ
自然石 93x74x29p(龕部下16pから54x23x-2.5p)(像38x13x2.5p)
N34.989458 E135.206277


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│   右 やま  同        │
│         行        │
│(地蔵像)   道         │
│         十一       │
│   左たんば  人        │
└――――――――――――――――――┘
(「ば」は変体仮名「者」に濁点「左丹波」か)

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│   安永四乙未          │
│    七月吉日          │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(安永四(乙未)年七月1日とすると、西暦1775年7月27日木曜日となる。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では40)
(明治の地図を見ると、現在の状況とは逆に、左(北)への道が聯路で、右(北東)は小径で描かれている。この
 道標も左を篠山と案内し、「右やま」は先にいけない事を案内している。案内のある「左篠山」の道は今の母子
 大池あたりで東に向きを変え、母子小学校から北へ美濃坂峠を越え篠山の小枕に続いている。この道は、国立公
 文書館デジタルアーカイブの「天保摂津国絵図」にも朱書きで描かれており主要道であったようだ。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北東に望む
 右(北東)母子へ  奥、上青野バス停へ  右奥、現県道母子へ
 左奥、北の林道へ】  左(北東)尼ン滝へ】  左、母子大池林道へ】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標南面上部
 後(北東)母子へ  地蔵像の回りに  「右やま」は現県道を
 台石ごと埋込む】  文字を配置】  「左たんば」は母子大池へ】

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【7.道標南面下部 【8.道標北面左下 【9.道標北面中央下
 「道」を挟んで  「七月吉日」  「安永四乙未」
 「同行十一人」】  と読める】  と読める】

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【10.三田北部の道標】n
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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