70.西宮市御茶家所町の道標

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西宮市御茶家所町7−6 国道2号夙川橋交差点を西に100mの路地を北へ階段を降り70mの変則四辻を西に20mの北側(アパートの駐車場か)に南を正面に建つ
尖頭型角柱 103x18x18.5p(頂高3p)
N34.738109 E135.32764

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南面
┌─―――――――――――――――┐
│於くへ いまくまく王んおん道  │
└――――――――――――――――┘
(「於、王」は変体仮名「お、わ」)
(「奥へ今(新)熊観音道」か)
東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│貞享二乙丑年七月吉日      │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│十八こ             │
│左 せんのうしく王んおん道   │
└――――――――――――――――┘
(「王」は変体仮名「わ」)


(貞享二(乙丑)年七月1日とすると、西暦1685年7月31日火曜日となる。)
(今熊観音寺を今熊野観音寺として、京都市東山区泉涌寺山内とあり、元は京都にあった道標であろう。此処にある
 理由は不明。辻を離れて建っている点でも移設には違いない。
 元位置は案内から見て
N34.978202 E135.780073
 辺り、同寺の仏殿前の北西角辺りに有れば、奥が北を示し今熊野観音寺方面になる。
  西面「せんのうし」が不明、「専應寺」が京都市中京区六角猪熊町608にあるが案内には不相応に感じられる。
 御寺、泉涌寺(せんにゅうじ)を「せんのうし」と綴ったものとすれば、当寺の山門北側に楊貴妃観音と呼ばれる
 ものがある様で、下に続く「く王んおん」に符合するとした。こんお観音堂は上記想定元位置の西に当たる。
  国立国会図書館デジタルコレクションの『都名所図会巻之1−3』コマ番号109に「東山泉涌寺(仙遊寺)(と
 うさんせんゆうじ)」とあり、「ゆ」と「の」の違いがあるがよく似た表現かと思う。
 (同、吉川弘文館出版の『都名所図会巻1−3』コマ番号64の方が見易いかもしれない。)
 又、その後ろに「新熊野観音(いまくまのかんのん)」も載り図中には観音堂の左に「いまくま道」らしきものも
 見え、新熊野観音は西国観音巡礼の一つであるとしている。
  西面の「十八こ」は「十八し」で「十八寺」かも知れない、因みに現在の西国三十三ヶ所では「十八番」は紫雲
 山頂法寺(六角堂)らしく、泉涌寺では含まれず同寺の塔頭の一つ今熊野観音寺が十五番とされるようだ。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南東に望む
 左奥(北東)夙川へ  右壁左に当道標  左、夙川西岸へ
 右、路地を国道2へ】  背面20mに四辻】  右(西)国道2号へ】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標西面拡大
 右、南面が道に面し  「奥へ今熊観音道」  「左泉涌寺観音道」
 左、西面も見易い】  であろう】  であろうか】

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【7.道標を北面上部拡大 【8.道標南面上部拡大 【9.道標西面上部拡大
 「貞享二…」  「…いまくま…」  「…せんのうし…」
 と読める】  と読める】  と読める】

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【10.西宮南部の道標】
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