11.芦屋市役所南東角の道標

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芦屋市精道町7−6 国道43号精道交差点北西(芦屋市役所南東角)に南東を正面に建つ
蒲鉾型角柱 151x30.5x25p(頂高3p)(龕部43x21x-0.5p)(像部35x13x1.5p)(台石15x56x56p)
N34.726200 E135.304496


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南東面
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│    右側  右東、西乃ミや、尼さき、おほさか│
│(立像)  向つて               │
│    通行  左西、うを崎、みかげ、かうべ  │
└――――――――――――――――――――――――┘

北東面
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│兵庫縣武庫郡精道村はまあしや          │
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北西面
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│大正十四年十二月建之 由翁           │
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南西面
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│ふみまよふ人もやあると多万保この        │
│美ち能志る遍越こゝ耳たて遠り          │
│  柿園主人 由翁               │
└――――――――――――――――――――――――┘
(「多万保美能志遍越耳遠」は変体仮名
 「たまほみのしへをにを」であろう)

(大正十四年は1925年である。)
(『芦屋の道標を訪ね歩く』荒木勉、2007年では「浜芦屋の道標」11)
(昭和7年発行の地図では43号線は今ほど広くは無いがほぼ現状と同じに見え、この状態で案内と住所とから国道の
 南側で南面していたのでは無いかと想像する。西が芦屋公園と成っているので四辻南西部にあった可能性が高い。)
(行先は「右(東)西宮、尼崎、大阪」、「左(西)魚崎、御影、神戸」で問題はない。
  南西面の詩の「たまぼこ」は「玉鉾は道にかかる枕詞」と旺文社古語辞典にある。「柿園」は屋号か或いは、芦
 屋川上流に柿谷(かきたに)ハイキング道があるようでこれに因んで付けた庵の名前などかも知れない。)
(2016年5月8日時点で訪れた、元位置、浜芦屋町2-13の43号精道交差点(堤防道より一本東の道)の南20mの三叉路
 を東へ20m、道北側民家の敷地内には礎石のみが残ていた。
N34.725481 E135.305105
 辺りと思われるが、ここも本来の元位置では無かったようである。)
(南西面のうたであるが、変体仮名が多く読み違えがあるかも知れないが、
  「踏み迷う人もやあると玉鉾の、
    道の標べを、ここに建て居り」
 ではないかと思うがどうか。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南西に望む
 右、大阪へ  右奥、阪神芦屋駅へ  右、魚崎、御影、神戸へ
 左、神戸へ】  左(西)43号神戸へ】  左奥、浜芦屋へ】

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【4.道標南東面上部 【5.道標南西面上部 【6.道標北西面拡大
 立像であるが  「ふみまよふ人もやあ」  「大正十四年十二月…」
 一般的には地蔵か】  読み下した】  下部に名前がある】

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【7.道標南東面下部 【8.道標南西面下部 【9.道標北西面拡大
 「…右東、…」  「…多万保この」と  「兵庫縣…」の下
 「…左西、…」】  読み下した】  はまあしやと続く】

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【10.一時期建っていた
 と思われる地点を
 西に望む】

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【11.芦屋市の道標】
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