1.堺市堺区材木町東1の道標

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堺市堺区材木町東1−1−13 大道筋材木町交差点南東部に南東を正面に建つ
尖頭型角柱 166x31x30.5p(頂高10p)
N34.583135 E135.478404


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南東面
┌─――――――――――――――┐
│右 住よし 大さ可      │
└―――――――――――――――┘
(「可」は変体仮名「か」で「大坂」)

北東面
┌─――――――――――――――┐
│左 妙国寺          │
└―――――――――――――――┘

北西面
┌─――――――――――――――┐
│五丁南 大小ぢ        │
└―――――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――――┐
│安永六年丁酉四月       │
└―――――――――――――――┘


(安永六(丁酉)年四月1日とすると、西暦1777年5月7日水曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、267
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1970(昭和47)年発行には未記載)
(非常に綺麗な道標である。南東面を正面としたが特に意味は無く、寧ろ大阪方面から来て最初に目が付く、北東面
 の「左 妙国寺」が案内の第一位なのかもしれない。街道筋としてはこれから南へ大道通りが続く内、南へ600m
 に大小路筋との四辻があり、この辻迄を五丁(545m)と表現しており短めの表現は一般的であるが、それへの案内
 は二の次であろう。)
(国立国会図書館デジタルアーカイブ『和泉名所圖會』1796年. [2]のコマ番号7に妙国寺があるが、当道標は描かれず。
 尚、同『天保国絵図摂津国』1838年では、大小路を和泉との国境とし、妙国寺も摂津に描かれる。又、道標の建つ
 大道筋は同上『五畿内志下巻』1734年、コマ番号75で「紀州路」として「河州茨田郡界今市より京橋経由、泉州
 大鳥郡界堺大小路まで通計四里余の官道として載る。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を北に望む
 左奥、大小路交差点へ  左右、大道筋  道標右の緑屋根は
 左(南東)妙国寺へ】  右(北東)大坂へ】  阪堺線妙国寺前駅】

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【4.道標北西面上部 【5.道標南東面上部 【6.道標北東面拡大
 「五丁南」  「右 住よし」  「左 妙国寺」
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【7.道標南西面下部 【8.道標南東面下部 【9.道標南西面拡大
 「大小ぢ(大小路)」  「大さ可(大坂)」  「安永六年丁酉四月」
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【10.堺市の道標】
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