7.堺市堺区市之町東2の道標

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堺市堺区市之町東2−1−10 大小路筋の山之口商店街北入口の北東部歩道上の北側に北東を正面に建つ
尖頭型角柱 89x24x25p(頂高3p)
N34.578109 E135.475207


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北東面
┌─――――――――――――――┐
│ 福田 長野         │
│左              │
│ 富田林 高野(山)     │
└―――――――――――――――┘
(( )部は『大阪の街道と道標』より)

北西面
┌─――――――――――――――┐
│  大鳥 父鬼        │
│右              │
│  伯太 牛瀧        │
└―――――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――――┐
│明治三十五年三月建之大(阪府)│
└―――――――――――――――┘
(( )部は『大阪の街道と道標』より)

南東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(明治三十五年は西暦1902年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、268
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1970(昭和47)年発行には未記載)
(案内先を見ておこう。先ず場所は、「福田」は堺市中区福田、「長野」は河内長野市、「富田林」は富田林市、
 「大鳥」は堺市西区鳳、「父鬼(ちちおに)」は和泉市父鬼町、「伯太(はかた)」は和泉市伯太町、「牛瀧」は
 岸和田市大沢町の大威徳寺などとし、高野山は和歌山県で説明は不要であろう。
  北東面から見て左(南東)は大小路筋を堺東方面に竹内街道、分かれて西高野街道でこの辻で何ら問題は無いで
 しょう。一方南北方面を考えると、紀州街道(大道筋)に立たず100m東のこの辻に立つのは少し不自然な感じも
 あるが、明治の地図では、ここを南に進むと、南半町東で小栗街道に直結し大鳥に最短であり、その後父鬼街道と
 成っている。「右、岸和田、和歌山」としない限りはこの位置が最適であり、元位置に残っているものと思われる。
 当然、道路拡幅等による移設は免れないであろう。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南に望む
 左右、大小路筋  奥、大道筋交差点へ  左側が北東面に成る
 歩行者信号左に道標】  背後(南東)堺東へ】  左、堺東へ】

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【4.道標南西面上部 【5.道標北東面上部 【6.道標北西面上部
 「明治三十五年三」  「左/福田/富田林」  「右/大鳥/伯太」
 と読める】  と読める】  と読める】

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【7.道標南西面下部 【8.道標北東面下部 【9.道標北西面上部
 「…三月建之大」  「…長野/高野」  「…父鬼/牛瀧」
 「阪府」は埋没】  と読める】  と読める】

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【10.堺市の道標】
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