15.神戸市東灘区住吉台1の道標

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神戸市東灘区住吉台1−1 白鶴美術館前道の落合橋北詰の三叉路を北東に40m道の北側に南を正面に建つ
自然石 206x72x47p(台石65x110x130p)
N34.732826 E135.259471


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南面
┌─―――――――――――――――――┐
│      右有馬道        │
│昭和十三年七月五日         │
│水災紀念              │
│      左六甲道        │
└――――――――――――――――――┘

東面
                    ┌――┐
                    │当││
┌─―――――――――――――――――┐│時││
│昭和十四年四月建之         ││出││
└――――――――――――――――――┘│水││
                    │高││
                    └――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│ 建立者              │
│ 衣笠敬治             │
│ 玉木和作             │
│ 松野幸平             │
└――――――――――――――――――┘
(「和作」は「和行」かもしれない)


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では東灘区2)
(昭和七年発行の地図ではほぼ現在地点が三ツ辻の様に見え、右左の案内から辻の正面に置かれていたと考えると、
 移動はなかったと思える。現在では辻が西に付け替えられた為辻では無い位置にある様に見える。当時の水位を
 表現している事から移動は難しいのであろう。)
(神戸市のHPに「阪神大水害は、昭和13年7月3〜5日にかけて、台風に刺激された梅雨前線は神戸市に集中豪雨を
 もたらし、死者616名、被災家屋は約9万戸、総雨量:461.8o」等とあり、この地の南300m白鶴美術館前の河原
 の様子を写した写真などもあり、各所に記念碑が立つ内の一つでもあろう。
  当碑にある「紀念」とは「かたみ、おもいで」を示すらしく、道案内が主ではないと思う。)
(案内に関しては、「右有馬道」が主要道路で五助橋から六甲山頂東を経て有馬となり、「左六甲道」は寒天山(現
 住吉山手9)から六甲ケーブル山頂駅を目指す道であろう。)

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【1.落合橋北の交差点から 【2.道標を北に望む 【3.道標を南西に望む
 道標を東に望む  右、五助ダムへ  奥(西)今の辻へ
 電柱左下に当道標】  左(西)落合橋へ】  左は民家で道は無い】

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【4.道標南面拡大 【5.道標東面拡大 【6.道標西面下部
 「十三年七月五日」  「昭和十四年四月…」  建立者三名の
 は水害発生日】  一年もせずに建つ】  名が並ぶ】

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【7.道標台石東面 【8.右後ろの案内板 【9.道標を北東に望む
 ある意味  「洪水水位の碑」  後ろの谷からは
 最も重要な部分】  道標が主ではない】  10m以上ありそう】

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【10.神戸市東部の道標】
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