14.神戸市東灘区住吉山手6の道標

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神戸市東灘区住吉山手6丁目1−2 徳本寺南側駐車場の西上側に東を正面に建つ
角柱 106x21.5x15.5p
N34.730518 E135.257455


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東面
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│赤塚山               │
│    愛宕地蔵尊 参道      │
│火 伏               │
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北面
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│ 神戸市長 原口 忠次郎 書    │
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西面
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│ 生田区元町三丁目住人 広田某建之 │
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南面
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│ 昭和三十五年四月建設       │
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(昭和三十五年は1960年である。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では東灘区3)
(赤塚山は東灘区住吉山手五〜八丁目一帯を指すようで、バス停近辺に寺社は見えないが、やや南の同六丁目−9辺
 り(明治の地図では現道標から北200m辺りの168mのピーク)に鳥居の記号が見え、昭和44年発行の地図まで
 は残っておりこれではないかと思うが確証はない。それであれば、参道とする道は徳本寺南の道を西に廻り込み北
 へ登り忠魂碑の横を通るとおもわれ、参道を示すには少し下の辻に立っていたのではないか。
  現在(2020)ではこの道標の西5mに石の祠に入った立像が建つがこれが火伏地蔵であるらしい。移設が無かっ
 たものとするなら「参道」の意味が成り立つ位置を確定するのは難しい。)
(神戸市文書館歴史年表に昭和35年4月9日に「フランス・マルセーユ市のデフェール市長、原口市長を訪問し姉
 妹都市提携を申入れ」とあり、市長の書として矛盾はないでしょう。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を東に望む
 左奥、忠魂碑へ  松の下に当道標  右端に当道標
 右角柱が当道標】  後ろに火伏地蔵】  後は駐車場】

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【4.道標を西に望む 【5.道標南面拡大 【6.元位置?を北に望む
 駐車場から  「昭和三十五年…」  白鶴美術館前
 12段上にある】  と読める】  左に入り徳本寺】

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【7.神戸市東部の道標】
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