7.神戸市中央区熊内町3の道標

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神戸市中央区熊内町3丁目1−18 雲中小学校校庭南東部に南を正面に建つ
(プール南側)
自然石 105x67x43p
N34.705788 E135.200881


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南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│    是より             │
│左 瀧道                │
│     三丁             │
└――――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では中央区1)
(同書に「『兵庫史談』昭和十五年十月号…ころは、芋川谷の東岸、熊内八幡神社裏の登り口にあったが、…今は校
 庭に保存され…」とあり、その位置を地図で同定すると、中央区熊内町9丁目3−9の
N34.710377 E135.197275
 辺りにあった登り口分岐点(現在では川を西に渡る道は北に移動)ではないかと思う。
 此処から旧道を辿ると展望台まで三丁(330m)の距離になる。
 瀧は雄瀧とした。
 国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [11]のコマ番号54に載る案内には道の距離は書かれてい
 ないが、コマ番号53の絵図には、不動堂(案内では瀧勝寺か)の前を通る道が描かれており、この道への進入口に
 建っていたとしたい。
  尚、現在の雌瀧から雄瀧への生田川沿いの道は花園社中が明治六年布引遊園地開発許可後とされ、それ以前であ
 れば熊内八幡神社西の芋川沿いの道しかなく、雌瀧への分岐は新神戸駅北側、高速のトンネル出口辺りであったと
 思う。
  又、蘭学者斎藤拙堂の「観曳布瀑遊摩耶山記」天保四年九月二十二日(1833/11/3木曜)に距離の記述があり、
 出発点が明記されないが生田神社からと思われる「崎嶇(きく=険しい)十余町」があるが今の地図では2.4km
 (22丁)程になり一致しない。)
(入校許可を受け撮影させて頂きましたが、自然観察中でもあり草木をそのままにとの事で、上手く写せていない。
 移設経緯も分からないとお聞きしたが、同じ地点にあったとされる「中央区熊内町9(八幡東)の道標」と比べる
 と綺麗な道標で、観光用であったものかも知れない。)

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【1.西門を北東に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を北西に望む
 校舎の東側に道標  左端に当道標  右後ろはプール
 が置かれている】  右は南東校門】  右木の手前に当道標】

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【4.道標南面拡大 【5.道標南面上部 【6.道標南面中部
 自然観察中で  「左瀧」は  「…瀧道…」
 草木に埋もれる】  大きく彫られる】  「道」はくずし字】

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【7.道標南面下部
 「是より」
 「三」と読める】

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【8.神戸市中部の道標】
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