3.神戸市兵庫区湊町4の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
神戸市兵庫区湊町4丁目3−1 国道28号(大開通)公園内、新開地駐輪場管理所の北東に北西を正面に建つ
自然石 92x96x26p(南面龕部39x26x-5p)(北面龕部40x53x-4p)(台石35x94x55p)(芳名石18x61x46p)
N34.67534 E135.16992


写真himg0435

写真himg0443

写真himg0433

写真himg0441

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│史蹟                │
│後醍醐天皇御駐蹕之處        │
│福厳寺               │
│  西南約七〇〇米         │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│昭和十年二月            │
│  神戸市             │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(昭和十年は西暦1935年である。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(戦前の思想教育の一環で建てられたものか、現在(2020)では目立たないように正面を植込みに向け、元背面を目
 に付く広場側に向けて置かれている。「駐蹕之處(ちゅうひつのところ)」は「天子が行幸の途中、一時乗り物を
 とめた所」の意味らしく、国立国会図書館デジタルアーカイブ『攝津名所圖會』. [9]コマ番号35の福厳禅寺に、
 「後醍醐帝隠岐国より還幸ありとき…六月朔日四海一統万民豊楽の御祷り勅して大般若経を特読」とあれば、幾日
 か滞在したものと思われ、名所を案内するものであろう。現在でも当地から寺まで750m程度であればほぼ元位置
 と思われ、当時は神戸市電の駅前であったと思う。)
(上部の製作は「神戸市」で「二月」あるが、台石は「十一月」とある。寄付が集まるまで時間が掛ったのか。)

写真himg0445 写真himg0446 写真himg0444
【1.道標を北に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北西に望む
 左後方は柳原線  奥(南西)福厳寺へ  この面が正面に見えるが
 左に当道標】  右手、柳原線】  碑文からすると背面】

写真himg0437 写真himg0452 写真himg0447
【4.道標北西面拡大 【5.道標南東面全体 【6.道標を南に望む
 「福厳寺」  道標部、台石部  中央旗の後ろ辺り
 「西南約七〇〇米」】  台石寄附芳名者】  歩道側からは見えない】

写真himg0462 写真himg0451 写真himg0453
【7.道標北西面右部 【8.道標南東面拡大 【9.道標前芳名石を北西に望む
 「史蹟」  「昭和十年二月」  「昭和十年十一月」
 「後醍醐天皇…」】  「神戸市」と読める】  七名の名が載る】

写真gimg6517
【10.神戸市中部の道標】

芳名石上面
┌─―――――――――┐
│壹石寄附者芳名   │
│   いろは順   │
│ 池長 孟     │
│ 戸田 寅之助   │
│ 高井 武兵衛   │
│ 山下 文太    │
│ 丸木 勇二郎   │
│ 南  陽二郎   │
│昭和十年十一月   │
└――――――――――┘

文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ