6.神戸市須磨区天神町2の道標

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神戸市須磨区大手町9丁目 綱敷天満宮本殿南西7m植込み中に南を正面に建つ
尖頭型角柱 83x24x15p(頂高4p)
N34.644478 E135.119315


写真himg1332

写真himg1333

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写真himg1338

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│従是綱敷天満            │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│□□しき天神はま          │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│寛政七卯歳  願          │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│つなし起天神者ま          │
└――――――――――――――――――┘
(「起者」は変体仮名「きは」で「綱敷天神浜」か)


(寛政七(乙卯)年1月1日なら、西暦1795年2月19日木曜日となる。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載。)
(南面に上部に風化はしているが「従是…」とあるので、参道入口辺りに建っていたと想像できる。北面に「寛政七」
 とあり、国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [10]のコマ番号14の絵で見ると、二ヶ所の候補
 が上がり、一つは北西国街道(山陽道)から南下する地点で、もう一点は浜側の道から北に進む四辻である。
 東西両面に方向が書かれず「綱敷天神浜」と有り、立っていた地点を示すと思われ、上記地点のうち浜側が相応し
 いと思う。依って現在(2020)の国道2号線が通る辻(今は高架上)
N34.643947 E135.119388
 現神社の南端の四辻としたいが、ここでは余りにも近すぎる様に思う。
 そこで、名所図会を見直すと四辻より南の海岸部分に鳥居が見え、東西の道は無いもののこちらの方が自然に思わ
 れ、明治の地図で見当を付け、三番目の候補地として上記候補地の南120m辺り
N34.642935 E135.119596
 須磨区須磨浦通2丁目2―39の南、海浜公園の中としたい。
  尚、綱敷天満宮の解説は、同書25コマにあるが道の手掛かりはなし。)
(下部が埋められているか、折れているか分からないが、住所部分として「濱須磨村」等が考えられる。紀年部分の
 下部も名前などがあると思われる。)

写真himg1369 写真himg1326 写真himg1327
【1.道標を南に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 奥、2号線越え浜へ  後、天満宮本殿  右、天満宮本殿
 背後、北に本殿】  左手前に当道標】  左(南)浜側】

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【7.道標西面上部 【8.道標南面中部 【6.道標東面中部
 「つなし…」  「…綱敷…」  「…しき天…」
 と読める】  とした】  とした】

写真himg1365 写真himg1344 写真himg1351
【10.道標西面下部 【11.道標南面下部 【12.道標東面下部
 「天神者ま」は  「…敷天満」  「神はま」
 「天神浜」であろう】  と読める】  とした】

写真himg1692 写真himg1357 写真himg1376
【13.道標北面上部 【14.道標北面下部 【15.天満宮を北に望む
 「ウ」冠部から始まり  「…卯歳 願」  第二候補地としたが
 「寛政七卯歳」とした】  月日は無さそう】  近すぎると思う】

写真himg1711
【16.元位置候補を北に望む
 右奥、神社東への道
 左端の松辺りが参道口】

写真gimg6519
【17.神戸市南西部の道標】
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